「経営学における主観的幸福感」〜職務満⾜と動機づけ〜【Hapinnovation Lab Letter Vol.5】

Hapinnovation Lab(ハピノベーション・ラヴ)のベイタ博⼠とハピノ研究員が、皆さまからいただく様々な質問に答えていきます。連載第5回目はどのような展開になるか?!
ベイタ博⼠:
さてさて、今回は、「経営学における幸福」という話なのじゃが、先回「経営学には幸福という⽤語はない」という予告をしたもんじゃから、たくさんの⼈から質問攻めにあってのぉ~。実は、ちょっとびっくりしておるんじゃ!

たぶん、皆、働くことが幸福感に⼤きな影響を与えていることを経験的に知っているため、その印象と⾷い違うことから強い反響になったのだろうと思う。ワシもすこし意地悪な⾔い⽅だったかもしれんの。

正確に⾔うと、経営学に幸福と⾔う⽤語はないが「幸福のようなもの」はある。それがどのように取り扱われてきたのかを理解することは、今後、働くことと幸福を併せて検討するうえで⽋かすことのできない視点だろうと思うんじゃ。
ウォーキー:
ベイタ博⼠すみません。そんな反響でしたか…。

けれど、経営企画という⽴場にいると、やはり社員の幸福というのは最重要項目の1つなので、「経営学には幸福という⽤語はない」と⾔われ、正直「エッ」と思ったのです。
幸福という⽤語のない経営学って…、そんなものを頼りにして経営を⾏ってよいのかと正直なところ感じました。「幸福のようなもの」はあると伺って、少し安⼼したところです。
ベイタ博⼠:
ウォーキー君は、今⽇は会社からこの会場まで1時間以上歩いてきたとのことだから、少し⼼拍数があがっていないか⼼配じゃよ。
ちょっとばかり気を落ち着かせて聞いておくれ。

まず、経営学が働く⼈の幸福を蔑(ないがし)ろにしているわけではない。
その証拠として、幸福に近い概念として、職務満⾜や動機づけ理論がある。
経営学では、この職務満⾜と動機づけが「幸福の感情」であり、幸福のようなものと⾔えるんじゃ。つまり、経営学は、職務に満⾜している、あるいは⾼い動機づけの状態にあることを幸福であるとみなしているということじゃ。

さらに加えると、経営学では、⾼い職務満⾜と動機づけは、⽣産性の源泉として考えられ、その結果、⽣産性を⾼めるためには、⾼い職務満⾜と動機づけが⽋かせないと考えられてきたのじゃ。いや、これは今でも多くの⼈がそう考えているように思える。

ところが、神⼾⼤学の⾦井教授等(※1)によると、職務満⾜の⾼さと⽣産性の間には統計的な有意性を⾒つけることができないということを書いておる。⼀⽅で、最近のポジティブ⼼理学や幸福論の研究では、幸福感の⾼い⼈は⽣産性が⾼い傾向が認められるという説が固まり始めてきている。このあたりは、今後の研究の進展が楽しみな分野じゃ。
ハピノ研究員:
ベイタ博⼠!ここで少し⽣産性と職務満⾜や動機づけに関する過去の研究を整理しておこうと思います。

そもそも⽣産性を向上させるための取り組みの原点は、テーラー(※2)による「銑鉄(ズク)運びの研究」がスタートだったと⾔われています(現在では、科学的管理法と呼ばれる)。
テーラーは、企業が利益を増やすには、⽣産性の基準を作ることが不可⽋であると考えていました。そこで合理的な作業の仕⽅を割り出し、それによって企業にとっては利益、従業員にとっては所得の向上ということを実現しようとしたのです。
この試みは成功を収めているのですが、⼀⽅で、⼀定の所得を⼿にした労働者、あるいは企業側の利益だけの最⼤化を図ろうとする経営者によって考え⽅が歪められ、その結果がテーラーの意図したとおりに反映されなかったのです。

しかしその後、メイヨー(※3)等によるアメリカのミュール紡績⼯場やウェスタン・エレクトリック社ホーソン⼯場における実験では、⽣産性は、対⼈関係や参加意欲などの社会的側⾯の要素の影響が⼤きいという結果が⽰されたのです(現在では、⼈間関係論と呼ばれる)。⾯⽩いことに、テーラーの科学的管理法の⼿の届かないところをメイヨーの⼈間関係論はカバーしたと⾒えるところです。
ベイタ博⼠:
そうじゃ。
テーラーやメイヨーの研究は、1930年代までの経営学の貴重な仕事であり、成果じゃな。経営学の古典と⾔われる分野じゃが、ここに経営学の基本が詰まっているんじゃ。当たり前のことなのじゃが、経営学は⽣産性の向上を目的とした学問であるということが、今更ながら確認できるんじゃ。

ただ興味深いのは、⼈をどのように捉えるかということがテーラーとメイヨーでは⼤きく異なっていることじゃ。テーラーは⼈を損得(経済)で合理的に動くと考え、メイヨーは、どうもそれだけではなく、周囲(社会)との関係性というものが⼤きく影響していると考えたのじゃ。経営学は、個⼈の主観的幸福感は対象とはしていないものの、⽣産の要素としての“⼈”をどのように捉えるのかということで⼤きく考え⽅が変わってくるわけじゃ。
ハピノ研究員:
はい、メイヨー以降、⼈間的側⾯が⽣産性に及ぼす影響ということに注目が集まったように思います。

たとえばマズロー(※4)の欲求段階説については、かなり⼀般化されていると思います。しかし、同時に必ずしも正確に知られているとは⾔えないようです。少し横道にそれてしまいますが、欲求段階説の誤解が⽣じている部分について説明しておこうと思います。

マズローの欲求段解説は、俗に欲求「5」段階説と呼ばれ、⾃⼰実現欲求を階層上の最も上位に位置づくものとしての理解となっています。しかし、マズロー⾃⾝は、⾃⼰実現欲求を⽣理欲求に始まる「4」段階とは別に位置づけています。

この誤解の結果、職務満⾜や動機づけにおいて不可⽋なフローという概念や⾃⼰の理想のあり⽅という価値を包含した概念として世の中に受け⼊れられていないのです。
ウォーキー:
なんだか難しくなってきたな~ぁ。

「フローという概念」とか「⾃⼰の理想のあり⽅といった価値」とは、なんのことですか?もう少し分かりやすい説明をしてもらえないでしょうか?
ハピノ研究員:
はい、分かりました。そういう質問は本当にありがたいです。

さて、フローの概念を簡単に⾔うと、時を忘れて夢中になっている状態のことです。
以前ウォーキーさんは、「ウォーキーングに夢中になり、1⽇で5万歩も歩いたことがあるんだ」とおっしゃっていましたね。その時って、何を考えていましたか?途中で景⾊を⾒ている時もあるでしょうが、そのほとんどの時間は、実は何かを⾒ていたりするのではなく、⾃分の意識や注意は歩くということに溶け込んでしまっていたのではないでしょうか。つまり、何も考えていない…、それはフローという状態にあったと⾔ってよいだろうと思います。

チクセントミハイ(※5)という⼼理学者は、フローという状態は“楽しみであり、幸福である”と説明しています。つまり、仕事そのものが楽しいので頑張れたというときは、このフローという⾔葉で説明でき、それは楽しみや幸福な状態を⽰していると指摘しています。

また、「⾃⼰の理想のあり⽅といった価値」というと、たとえば⼈のために我が⾝の犠牲を厭(いと)わない⾏動というものがありますが、これ等は損得勘定などが介在しない「こうありたい」という⾃⼰のあり⽅そのものを規定する価値観と考えられます。
どうですかベイタ博⼠?
ベイタ博⼠:
だいたいそんなとこじゃ。ハピノがマズローの理論を正しく伝えようとしているのは、マズローの正しい理解なくして、ハピノベーターが目指す“wellbeing(良いあり⽅)”の獲得には近づけないと考えているからじゃな。

わしとしては、その他にもハーツバーグ(※6)の主張する動機づけ・衛⽣理論も⼗分な理解がされているとは⾔えないことが残念じゃ。
ハーツバーグは、臨界事象法というインタビューで、⼈間は仕事そのものから満⾜を感じるものであり、環境要因にはいくら配慮しても不満⾜の緩和にしかならないとしているのじゃよ。
これについては、デシ(※7)という学者が⾯⽩い実験をしているんじゃ。パズルを解かせるのに、被験者をふたつのグループに分け、⼀⽅のグループには、パズルが解けた場合に報奨⾦を渡し、他⽅のグループには渡さない。パズルは4回、間に8分ずつの休憩をはさむ。休憩中は何をやってもよい。また、パズルは当時流⾏っていた被験者にとって⼗分⾯⽩いものである。

結果は…どうじゃったと思うかい。
なんと、報奨⾦を与えられなかったグループは休憩時間中もパズルを解くことに熱中し、報奨⾦を与えられたグループは休憩時間を休憩のために使った、ということなんじゃ。
これは、“⾯⽩さを感ずる感情”を報奨⾦が介在することで“稼ぐという⽅向に邪魔をしてしまった”んじゃな。まったくもって⼈というのは⾯⽩いものじゃのう。

さてさて、ウォーキー君の疑問の解消としては、少し横道にそれすぎてしまったかのう。
次回は、働く意味と主観的幸福感ということについて考えてみたいと思うがどうかのう。
※1 ⾦井壽宏 ⾼橋潔 『組織⾏動の考え⽅』ひとを活かして組織⼒を⾼める9つのキーコンセプト
※2 フレドリック・テーラー 科学的管理法の⼿法を考案し実践した事で、⽣産現場に近代化をもたらしたとともに、マネジメントの概念を確⽴した。
※3 エルトン・メイヨー 産業技術の発展がかえって⼈間の協働意欲を阻害し、社会は解体の危機に瀕しているという危機感から、技術の進歩に応じた社会的技能の開発と教育を説く
※4 アブラハム・マズロー 欲求段階理論を提唱
※5 ミハイ・チクセントミハイ 『楽しみの社会学』2001
※6 フレデリック・ハーツバーグ 動機づけ・衛⽣要因理論を提唱
※7 エドワード・デシ 1975年に「内発的動機づけ」を提唱し、「外発的報酬は内発的な動機づけを低下させる」としてセンセーションを巻き起こした。