「企業と社会」のこれから【第9回 企業と社会、そして⼈〜『これからの経営』を考 える〜】

第3回から第8回まで、4⼈の⽅々にご登場いただき、各々のご専門からこのテーマについてお話をいただきました。
同じテーマについてのお話であっても、⽴場によって、⾒⽅が異なるといった発⾒もありました。
今回は、これまで伺ってきたお話を振り返りながら、いくつかの論点について掘り下げてみましょう。

CSRとCSV、そして⽇本の企業

第3回、第4回では中島智⼈産業能率⼤学教授から社会的企業(非営利の組織)について、第5回では今瀬勇⼆総合研究所兼任講師から中⼩企業の社会性について、お話を伺いました。理論と実践、欧⽶(英国)と⽇本、といった意味でもこの両回は対照的でした。
そして、この両回ともに、「CSV(Creating Shared Value︔共通価値の創造)」に話が及びました。第3回の⽂末でも簡単にご紹介しましたが、あらためて、これについて考えてみましょう。

「CSV」とは、経営戦略論の著名な研究者であるM.ポーターが近年提唱した概念です。これは「社会のニーズや課題に取り組むことによって『社会的な価値』を創造し、その結果として『経済的な価値』を創出する」という考え⽅に基づくアプローチで、ひとことで⾔えば「社会の発展と経済の発展の両⽅を意図した事業活動を⾏う」ということになろうかと思います。

M.ポーターは、CSVが企業と社会の関係を再構築し、資本主義の進化をも⽣み出す、とも主張しています。
その背景として、「これまでの資本主義観は、企業は利益を上げることで、雇⽤を維持し、購買や投資を継続し、税⾦を納められるので、“社会に貢献”できるとするものだった。
しかし、この枠組みには社会問題や環境問題は基本的に含まれていない」「多くの社会問題や環境問題は企業によって引き起こされており、事業活動は社会の犠牲の上に成り⽴っている」とする考え⽅が強まっていることが挙げられています。

⼀⽅、CSRについては、「評判(レピュテーション)を⾼めることを意識した善⾏であり、利益の最⼤化とは別物であるため、限界がある」としています。
そして、図1のように「CSR」と「CSV」の違いを明確にしたうえで、CSVへの転換を説いているのです。
「社会的なニーズや課題」、特に、グローバル化によって新たに⾒えてきた問題や、これまで「採算をとるのは難しそうだ」とされてきたニッチな(需要が限定された)問題に取り組むことは、新たなビジネスや市場を⽣み出す可能性を⼤いに秘めています。
たとえば、新興国で貧困を解決するための事業活動を⾏う、⽇本でいえば、⼈⼝が減少している地域であえて消費者サービスをビジネスとして展開する、といった取り組みです。
こうした志向が「社会と経済の全体的な発展」という“新たな”局⾯をもたらすことにもつながると思われます。

ただし、その「社会的なニーズ」をとらえ、そこに⼀歩を踏み出し、事業として成⽴させていくためには、「その(社会的な)課題、“困っている”ことや“より良くあってほしい”ことを解決したいから」という使命感や価値観、「責任」の意識がより求められるのではないでしょうか。
CSVのアプローチは、これまで市場ではなかったところに市場を創っていくことを意味します。
これは魅⼒的であると同時に、挑戦と、忍耐と、⼀層の創造性が要求されるものです。
効率だけを考えれば、なかなか「割の合わない」事業かもしれません。そうした難易度の⾼い事業活動を推し進めるためには「利益」という結果と共に「社会性」という動機も必要です。

M.ポーターがCSVの考え⽅を展開するにあたっては、企業と社会の関係についての考え⽅の変化が背景に挙げられていました。
⽇本の企業にとってのCSVやCSRを考える際には、そうした背景や前提がそのまま、⽇本での考え⽅や、私たちの⽇々の事業活動にあてはまるのかを、考慮しておく必要があります。
私たち、あるいは⽇本の組織は、(M.ポーターが前提としているように)⾃社の(短期的な)利益“だけ”をめざして事業活動を⾏ってきたのでしょうか。
グローバル化が進むにつれて、企業を、その所在する国との関係で語っていくことは、次第に意味を持たなくなってくることでしょう。しかし今のところ、企業の⽂化や価値観は、その所在する場所の⽂化や価値観の影響を受けているとみる⽅が適切です。

本連載の第1回で、「企業と社会」に関する“グローバルな”状況を若⼲ですが概観し、⽶国、欧州、そして⽇本のアプローチの仕⽅の違いに触れました。CSRという考え⽅についても同様で、⽶国のCSRはどちらかと⾔えば寄付や慈善活動、そして地域社会への貢献に主眼が置かれ、「結果としての利益をどう配分するか」の問題として扱われていると感じます。
これに対し欧州では、持続可能性や事業活動のあり⽅(プロセス)そのものの「責任」が問われているように思われます。その背景には、各々の歴史や、各々の社会の状況・⽂化・課題があります。

CSVの議論も、決して「どの国の企業」ということを特定したものではありませんし、多くのことを学び、考えさせられるアプローチです。ただし、そこでの前提や、対⽐されている「CSR」のとらえ⽅は、⽇本のそれとはやや異なっているように思われます。

⽇本でもCSRはさまざまな捉え⽅をされています。多くの企業が発⾏するようになった『CSR報告書』を拝⾒したり、実際にCSRのご担当者とお話をさせていただいたりすると、非常に多くの取り組みを、試⾏錯誤しながら、より良いものにしていこうと努⼒されていることが分かります。
そこにはたしかに「慈善的な活動」「本業に関連はあるけれども、本業そのものとはやや離れた活動」もあります。しかし、⽇本の多くの組織がCSRに取り組むにあたり、⼤切にされていることは、やはり、「本業を通じた社会貢献」という⾔葉に集約されるのではないでしょうか。この「本業を通じた社会貢献」という考え⽅は、「CSV(経済的な価値と社会的な価値を共に⽣み出す)」と、すでに通低しているように思います。

同じく本連載の第1回で、CSRに関する国際基準として「国連グローバルコンパクト」と「ISO26000」をとりあげました。この後者、「ISO26000」は2010年に発⾏された国際規格ですが、その後、この「規格」が最も多く販売された国の1つに、⽇本が含まれていると⾔われています。
この「ISO26000」は「事業活動において社会的な責任を果たすためのガイドライン」と理解できますが、その販売部数の多さからも、⽇本の「事業活動としての取り組み」への意識の⾼さが伺えます。

変わっていく、「企業の境界」

第3回、第4回ではまた、「社会的企業」と「企業の社会性(社会性をもった営利企業)」との境目やパートナーシップについて話題になりました。
いかに社会的責任意識を持っていても「利益」が最終目的である営利企業と、社会的課題の解決が第⼀義の目的である社会的企業とは区別して考える必要がある、しかし、その両者が対等なパートナーとして関係を構築することが、これからますます重要になる、とのお話が、これらの回でありました。
社会的企業と既存の組織・団体の関係も、図表によってクリアに⽰されています。
企業が「(本業を通じた)社会性」ということをより重視していくとき、「営利企業」という枠組みは存続しながらも、少なくとも2つの側⾯で「企業の境界」は変化していくのではないか、と思われます。
1つは、営利と非営利の「境目」の側⾯です。CSVのアプローチでも⾔及されているのですが、「社会目的をともなう利益」という考え⽅を組み⼊れた時点で、「企業の(事業の)目的」は変化していくことになると⾔えるからです。
逆に、社会的企業や非営利の組織でも「いかに⾃⽴して活動を⾏っていくか」は重要な課題として避けては通れないと思われます。「活動をし続けていくための資源の確保」は、それを利益と呼ぶのか否かはさておき、いずれの組織でも共通の課題であり目的になるのではないでしょうか。
利益を得ること⾃体に善悪や区別があるのではなく、その使い⽅(より硬い⾔い⽅をすれば配分の仕⽅)が問われるのだと思います。

もう1つは、事業活動の仕⽅、CSVで⾔えば“創造”の仕⽅においての側⾯です。経営や戦略を考えていく際に重要な項目として「イノベーション」は不可⽋ですが、これに関しても最近では「ソーシャル・イノベーション」や「オープン・イノベーション」といったことが着目され、取り組まれています。

特に後者、オープン・イノベーションは、産学連携や異業種の連携といった要素を含みながら、さまざまな閉塞した状況を打ち破る可能性があるとして注目されています。 異質な技術や⼈材の組み合わせが変⾰や創造のパワーになることは想像に難くありませんが、現実には、⾃社の技術をどこまで公開するのか、特許はどうするのか、価値観や⽂化の異なる組織からの⼈々がうまく協働できるのか、といった問題もあり、成功事例ばかりではないとも⾔われます。

ダイバーシティという⾔葉、「多様性が新たな価値を⽣み出す」という考え⽅が注目されていますが、オープン・イノベーションの潮流もこうした⽂脈に沿うものと⾔えます。ただし、上のような課題を克服するためには「共通の目的」をいかにもつか、が1つのポイントになるのではないでしょうか。
そして、それはおそらく「⾃分の組織」のことだけではなく、「社会性」という要素が⼊ってきたときに、強い求⼼⼒と推進⼒をもつのではないでしょうか。

(了)

(学校法⼈産業能率⼤学 総合研究所 本橋 潤⼦)