企業と社会【第1回 企業と社会、そして⼈〜『これからの経営』を考える〜】

企業と社会の関係を問うこと-“よい企業”とは︖

「企業と社会」というテーマをより端的に⽰す最近の⾔葉として、“CSR”があります。
「企業の社会的責任」と訳されるこの⾔葉が⽇本において⼀気に広まったのは2003年、今からほぼ10年前のことで、当時は“CSRブーム”と⾔われたりもしました。

今では多くの企業がCSRの専門部署を置いたり、毎年『CSR報告書』を発⾏したりするようになっています。皆様のお勤め先や⾝近な会社でも、CSRやコンプライアンスへの取り組みをホームページなどで情報発信されているのではないでしょうか。あるいは、「そういう研修を受け(させられ)たなあ」という⽅もいらっしゃるかもしれません。

私はこのCSRブームの少し前ごろから、企業倫理やコンプライアンスに関する領域に携わり、さまざまな会社様での仕組みづくりや、教育研修のお⼿伝いをさせていただいてきました。
この領域に⾜を踏み⼊れた当初は、⼤型書店に⾏っても難解な学術書が申し訳程度にあるばかり、インターネットで「コンプライアンス」を検索すると医学⽤語の⽅が先にヒットするという状態で、情報を探すのにもひと苦労した記憶があります。
ほんの⼗数年前までは、医者の指⽰通りに服薬しない⼈のことを「コンプライアンスが悪い」と⾔い、肺の弾⼒性や医療機器への適応度のことを「肺コンプライアンスが云々」と⾔っていた、「コンプライアンス」とはそのようにマニアックな、迂闊に検索結果を開くとかなり⽣々しい写真(そういうの、苦⼿なのです)が現れたりする、“危険な”⽤語だったのです。それを思うと今は、⽉並みな表現ですが、まさに隔世の感です。

しかし、⽇本において「企業の社会的責任」が問われたのは、この⼗年来が初めてではないといえるでしょう。

たとえば、1890年代に端を発した⾜尾銅⼭鉱毒事件を挙げることもできるでしょうし、さらに昔、江⼾時代の近江商⼈の家訓であったという「三⽅よし」(『売り⼿よし、買い⼿よし、世間よし』が⼀般的ですが、さまざまなバリエーションがあるといわれています)の精神に、「商いの社会性」を⾒る向きもあります。
また、より近年、戦後においては、1960年代に発⽣したいわゆる四⼤公害病(⽔俣病や四⽇市ぜんそくなど)をきっかけに、経済や産業の発展をめざす⼀⽅での「社会の⼀員としての企業のあり⽅」が社会問題化したりしました。

1970年代にはこうした関⼼は⼀度下⽕になりましたが、1990年代の特に後半から、再び「企業の社会性」が注目を集めるようになりました。総会屋への利益供与やリコール隠し、偽装問題といった企業不祥事の続発をきっかけに企業の「コンプライアンス」が問題となり、そして2003年に登場した「CSR」を経て、現在に⾄っているのです。

こうしてみると、「企業と社会」というテーマは、古くて新しい問題といえそうです。

それは「企業の目的は、『ほんとうに』(あるいは、『ほんとうは』)儲けだけなのか?」という問いがその内にあり、「よい企業/経営とは何か」「よく働くとはどういうことか」ということにもつながってくるからではないか、と私は思っています。
⼤所⾼所から「べき論」をぶつことにならないよう留意しながら、この古くて新しくて深そうなテーマについてさまざまな「経営の専門家」にお話を伺い共に考えていく、そのようなコラムにしていきたいと思います。

グローバル化とCSR

今、ビジネスの現場で注目を集め、これもまた⼗数年前とは“隔世の感”があるテーマに「グローバル化」があげられます。CSRよりもこちらの⽅がよほど差し迫った課題だという⽅も少なくないかもしれません。
そこで、先ほどは「企業と社会」について⽇本での状況を振り返りましたが、今度はこれに関する“グローバルな”状況について、すこし⾒渡してみましょう。

⽇本の企業経営やその考え⽅に⼤きな影響を与え続けている国といえば、まずは⽶国かと思います。
「⽇本の経営学は⽶国の10年後を追っている」と⾔う研究者もいるそうですが、企業倫理やコンプライアンスの分野でもこの⾔はあてはまりそうです。
⽶国で「コンプライアンス(法令遵守)」が問われるようになったのは1980年代といわれています。当時の軍事⼒強化政策の下で起きた防衛産業の不正請求事件をきっかけに、企業の⾃⼰統制のあり⽅が議論されるようになり、「不祥事を起こした企業でも、⼀定の企業倫理プログラム(遵法基準と⼿続きの明確化、周知徹底システムの構築、通報システムの採⽤など)があれば量刑が減免される」という「連邦量刑ガイドライン」の制定が⼤きなきっかけとなりました。

その後1990年代には、グローバル展開する⼤⼿⾐料品メーカーが、⽣産拠点とした東南アジアで⼥性を含む労働者を不当な条件で働かせたり、児童労働を容認したりしたため、その企業姿勢が糾弾され不買運動にまで発展することとなりました。この事件は、法律に違反していなくても重⼤な社会問題になった象徴的な事例として今も語り継がれています。

⼀⽅、欧州においてこのテーマは、法令遵守の問題というよりは、どちらかといえば環境や持続可能性との関わりで問題にされているようです。
また、そもそも欧州のCSRの起源は(特に若年層の)失業問題にあるともいわれており、企業は「⼈」という社会的な資本を預かる⽴場にある、その「⼈という資本」を訓練することや雇⽤の確保、万が⼀離職することになっても次の就職に困らないだけの経験を積ませることが企業の重要な社会的責任だとする考え⽅があることは、⽇本の私たちにも学ぶところがあるように思います。

こうした⽶・欧と⽐較すると、アジア圏は、「企業の社会的責任」においては⽶国や欧州の潮流の影響を受ける⽴場であるかもしれません。
しかし、取引先、バリューチェーンにも⾃社と同⽔準の「CSR」を求める欧⽶企業が増えていることもあり、グローバル化をめざす企業にとってCSRの国際⽔準に追いつくことは喫緊の課題となってくると思われます。

2つの国際基準

こうした世界的な潮流があることを受けて、2000年、2010年に「“CSR”に関する国際基準」といえるものが策定されました。1つは「国連グローバルコンパクト」、もう1つは「ISO26000」です。

(1)国連グローバルコンパクト

2000年7⽉、国際連合において、アナン事務総⻑(当時)の発意に基づき発⾜したもので、「持続可能性と責任あるビジネスを約束する企業のためのプラットフォーム・実践的な枠組み」です。

その内容は、現在では図表1のような「10の原則」で⽰されています。企業や団体はこの「10の原則」に批准した経営を⾏うことを署名し、年1回活動報告をすることで加盟することができます。
⽇本でもさまざまな企業や団体が加盟し、「10の原則」を経営に取り⼊れる活動を続けています。

(2)ISO26000

「SR(社会的責任)」のISO規格として、2010年11⽉に発⾏されたのがISO26000です。

この規格を策定する取り組みは2001年から⾏われており、当初は「2003年発⾏か」「2005年か」と⾔われていたのが、結果として、10年がかりのプロジェクトになりました。その⼀つの理由として、この規格の策定には、世界のあらゆる国々の、さまざまな(マルチな)ステークホルダーが関与し、合意形成して進める、という⼤⽅針があったためと思われます。
さまざまな⽂化の、どのような発展段階の国でも採⽤することができ、かつ、さまざまなステークホルダー(消費者、労働者、政府、地域社会、環境など)の利害を調整して反映させた規格ということで、その策定プロセス⾃体が「壮⼤な世界的実験だった」と振り返る関係者もいるほどです。

※http://www.iso.org/iso/home/standards/management-standards/iso26000.htm より引⽤
ISO規格ですが現在は「認証」ということではなく、SRに取り組むための「ガイドライン」と位置づけられています。

また、「C=Corporate」のない「SR」という⾔葉に⽰されるように、営利企業だけでなく病院や学校も含めたあらゆる団体を対象とした、「社会的責任」を果たすための⼿引きとして作成されています。

2つの国際基準から考える

この2つの国際基準を⽐較してみると、国連グローバルコンパクトは「⼤きな原則を⽰して、具体的な取り組み事項は企業(団体)の⾃発性に委ねる」、ISO26000は「原則も⽰しながら、ステークホルダーとの関わりの重要性とより具体的な取り組み主題や課題例を⽰す」といった点で対照的です。

前者は考え⽅の⼟台となる「原則」後者は⾏動を起こすための「実践」といえ、互いに補い合う関係にあると私は考えています。

ISO26000は「ガイドライン」の位置づけですが、オーストリア、ポルトガル、デンマーク、ガザスフタン、モロッコ、ブラジル、スペイン、UKなどでは、これを参考に⾃国独⾃の第三者認証規格を策定する動きになっています。
また、欧州では従業員1000⼈以上の欧州企業のISO26000の活⽤状況をモニタリングする活動が起きていたり、中国ではこれをもとにした「CSR報告書」を発⾏する企業が急増したりするなど、「企業の社会的責任」はグローバル社会において、「⼤⼈の企業としての必須要件」となりつつあると思います。

こうした中、⽇本企業もまた「グローバル化」を目指していくのであれば、CSRへの意識の⾼い国に進出したり、⾃社同様のCSR⽔準を求める企業に商談を⾏ったりといった場⾯に、やがて直⾯することになると思います。
そうしたとき、「利益をあげている」「規模が⼤きい」といったことだけで、ずっと魅⼒ある対等なパートナーとして相⼿にしてもらえるでしょうか。私は、そう楽観的にはいられないと思っています。
それは、「信頼」に関わってくる話だからです。「儲かっていて」「違反や不祥事を起こさない」だけではないもの-「社会に対して、どのような姿勢をもっているか」ということが、これからの、特にグローバルな企業の「信頼」には⽋かせない要件になると思います。

さらに現在でも、⽇本の企業は⾼い技術や専門性を有している、世界をリードする⽴ち位置にあることは間違いありません。こうした技術や資産を⾃社のためだけでなく、たとえば環境や貧困と⾔った世界的な課題の解決にも活かしていくことが、グローバル化の中で求められています。
期待されているのは慈善活動だけではありません。むしろ事業として取り組んでいくことが必要であり、そこに⼤きなビジネスチャンスもあると思われます。

⼤切なのは、⽇々の業務活動の中での「意思決定」

CSRの「R=Responsibility」が「Response=応答する」という⾔葉から来ているように、「社会からの要請に⽿をすまし、それに応える」ことがCSRの本質の⼀つだと思います。

先に⾒た「2つの国際基準」は世界的な潮流を受けて⽣まれてきたもので、「まず取り組むべき課題は何か」「当社の姿勢は世界基準に適っているか」といった、活動の⽅向づけや検証を⾏うのに有効なガイドラインだと思います。

しかし、「何々をしたからCSRを⾏った」とチェックリストを満たそうとするとよりも、国際基準の項目の背後にあるもの(社会から要請されていること)を読み取り、そのうえで、⾃社の事業活動や組織では「何が出来るのか」「何をすべきなのか」を⾃ら考えることが、⻑続きして意味のある活動につながると思います。

また、インパクトのある活動をプロジェクトとして取り組むことも重要ですが、⼀⽅で、経営レベルの⼤きな意思決定から⽇々の業務活動の隅々まで「社会に対して、当社はどう振る舞い、何をすべきなのか」という考えが⾏き渡り、反映されることが非常に重要だと思います。

⼈に置き換えて考えてみれば、ある⼈について「責任を果たす⼈」というとき、華々しく「何かをしたから」というよりは、⽇々の、普段の考え⽅や判断、⾏動が、重要なのではないでしょうか。

こうして⾒ることによって、「企業と社会」やその責任といったテーマは、経営そのもののあり⽅に関わる事柄であると同時に、⽇々の業務活動やそこで働く⼀⼈ひとり、あるいはチームや集団といった、「⼈」の問題でもあるととらえることができます。

次回はこの「⼈」の側⾯を掘り下げて考えてみたいと思います。

(学校法⼈産業能率⼤学 総合研究所 本橋 潤⼦)