「貢献意識」に基づくものの⾒⽅や考え⽅を育てる(1/2)【第8回 企業と社会、そして⼈〜『これからの経営』を考える〜】

「貢献意識」に基づくものの⾒⽅や考え⽅を育てる
〜学校法⼈産業能率⼤学総合研究所兼任講師 佐伯雅哉先⽣に聞く〜

「企業と社会」を考えていくうえでは、個々の企業を「点」として、さらに、政府やNPOといった様々なステークホルダーにまで視野を広げて俯瞰する“⿃の目”のような視点が必要です。
⼀⽅、社会に働きかけたり、時には変えていったりする⼒の源をたどっていくと、企業という組織の中の、さらにその集団の中の「⼈」が浮かび上がってきます。
そこで今回は“⿃の目”から“⾍の目”にレンズを切り替えて、組織で働く「⼈」のさらに内⾯、思いや欲求、そして成⻑ということを考えていきたいと思います。
こうしたテーマについて⻑い間探求され、⼈材育成の場に提唱し実践されてきた、 佐伯雅哉先⽣にお話を伺いました。

「個⼈」「組織」「社会」の関係を、「貢献」の視点で捉え直す

— 本橋
先⽣は、学校法⼈産業能率⼤学においては、講師派遣研修や⼤学院、通信教育課程の授業などの場で活躍されると共に、学会での研究発表や著書のご執筆など、多岐にわたる活動をされているようですが、先⽣が関⼼を持たれてきた領域について、お聞かせください。

— 佐伯
私は、学校法⼈産業能率⼤学で仕事をする前は、⾦融機関に12年間勤務していました。そこでは、融資担当の⽴場から、さまざまな企業の経営を診るという経験を積ませていただきました。もちろん、社会的な⾒地も含めてです。
また、⼀時、⼈事、総務系の職場にもいましたが、当然、そこでは⼈について学ぶことができました。

そして、今の職場に移ったのが25年前でした。思い起こしてみれば当時から、この連載のテーマである「企業、社会、⼈」、そしてそれらの関係に関⼼をもっていたように思います。

— 本橋
それは、興味深いです。

— 佐伯
実は、この三者の関係を整理した私なりのモデルがあり、10年以上も前から提唱し続けています。

出所:佐伯雅哉(2012)『“⾃⼰”の育て⽅』産業能率⼤学出版部

この図の「組織」は、企業組織を想定しています。「組織」は、個⼈個⼈の断⽚的能⼒を、ある社会目的のために編集する機能を持った⼀つの場です。 例えば建物の設計に優れた「個⼈」がいても、その⼈ひとりの⼒では建物は建たない。資材を加⼯し組み⽴てる⼒をもった⼈や、資材を調達する⼒をもった⼈が必要です。

それぞれが集まって「組織」を形成すれば、建物という⼀つの価値を「社会」に提供し、貢献することができる。そして「組織」は「社会(この場合は、顧客)」から代⾦を受け取り、これを個々⼈に給与として分配する。「個⼈」はこれによって⽣計を⽴て、貢献活動を継続することができる。

⼀⽅、売上げ代⾦の⼀部は、利益として「組織」⾃⾝に⾃⼰分配され、貢献活動を継続するための備えとなります。

給与は、物理的には⼀度「組織」を経由しますが、その出どころは「社会」です。
つまり意味的には、「社会」から⽀払われていることになります。「社会(具体的には顧客)」は、その価値の⽣産に関わったすべての⼈に逐⼀対価を分配する機能を持たないので、売上げ代⾦の形で⼀度これを「組織」に預けるのです。
そして「組織」は、「社会」に代わってこれを個⼈に分配する。つまり「売上げ」というのは、その意味で「預かり⾦」なのです。

「個⼈」、「組織」、「社会」のこのような関係によって、全体社会は健全に維持されます。個⼈と組織は、「能⼒」と「給与」を交換し合っているのではない。
「能⼒」と「能⼒発揮の場」を提供し合っている。つまり両者は、社会に付加価値を提供することを共通の目的とする「パートナー」である、ということです。

多くの⼈が、このモデルに共鳴してくれます。
例えば、⼼地よさを感じるとか。これは、純粋な「貢献意識」、あるいは「貢献意欲」とでも⾔えるようなものが、私たちの内⾯の⼀部を占めているからではないか、そう解釈することもできると思います。
私も、これを「貢献意識」に基づく組織観、あるいは「公共的」組織観などと呼んでいます。

— 本橋
とても興味深い、ひとつの⾒⽅を描いたモデルとして、共感するところが多々あります。と同時に、このモデルが⽰している「健全な全体社会」が実現し維持されるために必要なことや、考えなければならないこともまた、いくつかあるように思えます。
ひとつは、他のステークホルダーの存在や影響は、どう織り込まれていくのか、ということです。
このモデルでは、「社会」は「顧客」のことであるとのご説明でしたが、そうすると、他のステークホルダー、例えば地域社会、⾏政、競合他社、NPOといった利害関係者とその影響関係を、このモデルに加えるとどうなるのだろうという興味がわきます。

そして、悩ましいのが「株主」の位置づけ。給与の源泉としての顧客はたしかに⼤きな存在ですが、営利企業であれば「株主」、「出資者」も無視できないかと思います。
資⾦を得る代わりに、企業は「株主」にも「より⾼い配当」をすることが期待されている、あるいはその責任がある、ということを考えるとき、このモデルの、おそらくは「省略された部分」が気になるところです。

— 佐伯
このモデルはそもそも、組織と個⼈の統合は、その共通の貢献対象である顧客というものを想定から外して考えることはできないという発想から⽣まれたものなので、社会を構成する他の存在は、直接的にはその中に含めていません。

ただし、先ほど組織が持つ分配機能についてお話しましたが、例えば株主には配当⾦、国には税⾦、⾦融機関には利息という名で、社会的価値の創造に関わった多くの存在に対して、「顧客からの預かり⾦」を分配しているのです。

マズローの「欲求段階説」から「貢献意識」を考える

— 本橋
今ほどのお話の中に「全体社会の健全な維持」ということがありました。 先⽣のモデルは、企業の維持、いわゆるゴーイング・コンサーン(going concern)だけでなく、むしろより⼤きな視点、「持続可能な成⻑」やサスティナビリティー(Sustainability)といったものにも相通じるのではないでしょうか。

— 佐伯
これまでの説明でお気づきかもしれませんが、このモデルの背景には、「⾦銭」「貢献」「継続」という要素が織り込まれています。
私は、これらは、「仕事」という概念を成り⽴たせている三つの要素であると考えています。
つまり、⼈々はどのような条件を備えた⾏為を「仕事」と呼ぶのか、ということです。まず、その⾏為が「⾦銭獲得につながる」ということです。
次に、その⾦銭は奪い取ったものではなく相⼿が喜んで出す、つまり、その前提として「何らかの他者貢献がなされている」ことです。
そして、「1回きりの偶然ではなく、同じ種類の貢献活動が継続する」ことです。「⾦銭獲得」「他者貢献」「継続性」、この三つが「仕事」という概念を成り⽴たせている要素であり条件です。

ならば、仕事をする「個⼈」は、他者貢献の質を⾼めることに専⼼すればよい。どのような⾏為が、他⼈が喜んでお⾦を出すものなのか、しかも繰り返して。
⼤プロジェクトであれ⽇々の⼯夫であれ、間接部門の⼈も含めて、まずはこれを⼀⽣懸命考えればいい、ということになります。

— 本橋
ありきたりなことばで⾔えば、「CS(顧客満⾜)」や「顧客ニーズに応える」という表現にもなってしまいそうですが、そうではないのは「貢献」という概念を⽤いられているからなのですね。

— 佐伯
そうですね。売り⼿の論理で考えた「顧客満⾜」ではないということです。そこに、社会全体への配慮という要素がそっと⼊ってくる。これがこのモデルの特徴です。
そして問題は、⼀⼈ひとりの組織メンバーが、そのような意識を持つことができるような環境を、私たちがいかにして整えていくことができるかということです。
例えば、組織の仕組みや教育のあり⽅はどのようにあるべきか。

こうした問題を考える際には、マズローという⼼理学者による「欲求段階説」が参考になります。このマズローの「欲求段階説」のモデル(左側)と、これに対する私なりの「解釈」(右側)を描いたものが図2です。

出所:佐伯雅哉(2012)『“⾃⼰”の育て⽅』産業能率⼤学出版部

左側、マズローの「欲求段階説」は、多くの読者にはおなじみのモデルかもしれません。
ただしこれを理解する際には、注意すべき点が⼆つあります。

⼀つ目は、マズローのこの⼼理モデルは⼈間の意識の「構造」を説明するだけではなく、意識の「成⻑過程」あるいは「発達過程」を説明するものでもあるということです。
つまり、⼈間の意識は、⽣まれた当初はこのモデルの下の⽅にあるものだけでできているけれども、加齢とともに次々と新たな要素が加わって、このモデルの全体像に近づいていくものだ、というふうに考えられているということです。

⼆つ目は、⼈間の意識の成⻑あるいは発達は、「⾃⼰実現欲求(The Needs for Self-Actualization)」段階で終わるのではなく、最終段階として「⾃⼰超越(Self-Transcendence)」と呼ばれる要素がまだ残っているということです。そして、これも合わせた全体が、⼈間の複雑な意識なのだということを、マズローのモデルは⽰しているのです。

「⾃⼰超越」というのは、マズロー⾃⾝のことばです。実にさまざまな側⾯を持っているのですが、⾼い「貢献意識」はその重要な特徴の⼀つとして位置づけられます。

例えば、私たちが何か失敗をしたとき、なんとか修復しようとする動機には、他者からの評価や⾃分の⼈格を維持したいという⾃⼰都合、つまりマズローの⾔う「承認欲求」や「⾃⼰実現欲求」からくる部分もあれば、他⼈に対する悪影響を最⼩限にとどめたいという純粋な「貢献意識」もあるのではないか、ということです。 むしろ失敗に気づいたとき、最初に意識に⽴ち上ってくるのは、上司に呼び出されている⾃分ではなく、被害を受けている他者の映像なのではないでしょうか。
この、後者の映像を最初に⽴ち上らせる背景にあるものが「貢献意識」であると私は考えています。

— 本橋
これは推測ですが、⾃分の失敗に気づいたときに、「被害を受けている他者の映像」が、そのように浮かび上がるかというと・・・・、少々、ハードルが⾼いようにも思えます。「⾃⼰超越」というのは、非常に⾼度な次元を意味しているのでしょうか。

— 佐伯
⾃分の失敗が⼈⾝に影響する場合はどうでしょう。あるいは、待ち合わせ中に、時間と場所を間違えて相⼿に伝えていたことに気づいたときはどうか。

いずれにしても「貢献意識」は、「⾃⼰超越」の特徴の⼀つですから、マズローの理論では意識の発達の「最終段階」に位置づけられます。しかしよく吟味してみると、この意識段階は「⾃⼰実現欲求」が満たされた後に突然⽣まれるようなものではなくて、⽣理的なものから⾃⼰実現に⾄る、欲求の発達プロセスの中で、その影響を受けながら、徐々に育って意識全体の中に占めるウエートが増していくと⾒るのが妥当なようです。

※所属・肩書きは掲載当時のものです。