そして⼈【第2回 企業と社会、そして⼈〜『これからの経営』を考える〜】

第1回では、「企業と社会」の関係を考えるために、グローバル化の中でのCSRに関するトピックを取り上げ、「国連グローバルコンパクト」と「ISO26000」という2つの国際基準を概観したうえで、企業が「何をすべきなのか」を⾃ら考えること、さらには、⼤きな経営判断から⽇々の業務活動に⾄るまでの意思決定が⼤切であることを申し上げました。
第2回では、そうした意思決定をする主体としての「⼈」に焦点をあてて、「“よい企業”とは︖」という問いを、企業の内側の視点から考えたいと思います。

“すぐれた意思決定”のために︓いくつかの知⾒から

企業という組織の、あるいは経営の意思決定は、これまで様々なアプローチで語られてきました。
ここでは、意思決定の主体として「⼈」すなわち従業員を想定しながら、企業の社会性に結びつく“すぐれた意思決定”のための、2つの考え⽅をとりあげてみましょう。

(1)「ステイクホルダー」が意味するもの

ステイクホルダー(stakeholder)という⾔葉は、直訳すれば「利害関係者」となりますが、具体的には「事業活動を⾏っていくなかで互いに(企業から相⼿へ・相⼿から企業へ)影響を与えあう団体・関係者」といえるでしょう。
どのような「関係者」がいるかを図⽰すれば、以下のように表すことができます。

こうしたステイクホルダーの整理はお馴染みのものかもしれませんが、CSRや企業倫理の⽂脈では、この⾔葉の出⾃にはちょっとした歴史があり、また特別な意味合いも込められています。

そのきっかけは、1970年、ミルトン・フリードマンという⽶国の経済学者が、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』に「ビジネスの社会的責任とは、⾃社の利潤を増やすことだ」という論⽂を発表したことでした。
フリードマンの主張とは、「企業は株主(ストックホルダー︓stockholder)から出資された資⾦をもとに事業を⾏っているのであり、経営者はいかに利潤を上げるかにのみ責任がある。利益はすべて株主に還元されるべきであり、経営者が“社会的責任”などといって寄付をしたり、ボランティア活動をしたりするのは、株主に対する背任⾏為ですらある」といったものでした。
フリードマンはノーベル経済学賞を受賞した⼈でもありますが、「会社は株主のもの」という意識が強いといわれている⽶国でも、このあまりにも明快で、しかし⼝にするのは憚られるような主張は、驚きをもって迎えられたといわれています。

この「企業の目的はただ利潤の追求にある」「企業の責任は株主(ストックホルダー)に対してのみある」という主張に対抗したのが、「ステイクホルダー」の考え⽅でした。
それは、「企業は株主(ストックホルダー)のため(だけ)にある、責任を負う」のではなく、「企業(事業活動)の目的はステイクホルダーの利害の調整にある」、⾔い換えれば「企業は、様々なステイクホルダーのために事業活動を⾏う必要があり、そのことに責任がある」という主張です。

着目しておきたいのは、「ステイクホルダーは、企業が利潤を上げるための⼿段ではなく、事業活動の目的そのものである」という考え⽅が、その背後にあることです。

それはたとえば、⼈事部門でいえば、「従業員」というステイクホルダーを「企業が競争に勝ち残り成⻑するための資源や⼿段」として⾒るというよりは、「従業員の様々な要請(それは、労働環境であったり、職務満⾜であったり、様々なテーマがあると思いますが)それ⾃体を目的として尊重する」ことといえます。

第1回でご紹介したグローバルでのCSRやそれに関する「2つの国際基準」の根底には、こうした「ステイクホルダー観」があり、それが「責任」という概念にも結びついていると理解できます。

そして、こうした「ステイクホルダー」の考え⽅を⽇々の判断や意思決定に取り⼊れ、活かすとすれば、次のような視点をもって物事を考えてみる、ということになるでしょう。
この状況に関係するステイクホルダーは誰で、各々は、(⾃社や⾃⾝に対して)どのような期待を持っているだろうか。
この判断や意思決定によって、各々のステイクホルダーに、どのような影響が及ぶだろうか。
⾃分が、各々のステイクホルダーの⽴場だったら、(今、⾃分がしようとしている)この⾏動を、どう思うだろうか。

⼀⾔でいえば、図1のようにステイクホルダーを想像し、「相⼿の⽴場に⽴ってみる」ということになるでしょう。このように「想像⼒」を働かせることもまた、“すぐれた意思決定”のために⽋かせない事柄です。

(2)「3つの視点」

もうひとつ、参考となる「意思決定の枠組み」をご紹介したいと思います。
これは、ハーバード・ビジネススクールで教鞭を執っているL. S. ペイン先⽣が提⽰しているもので、次のような3つの視点(レンズ)からの“問い”をもって、経営判断や業務における意思決定をしていくという考え⽅です。
目的(Purpose) ⾃分(たち)が達成しようとしている目標は何か。今、とろうとして いる⾏動は、その目標達成にいかに貢献するのか。結果的に、どのよ うな成果をもたらすのか。
原則(Principle) この状況には、どのような決まりごと-法律、ルール、常識、規範が関連するか。今、とろうとしている⾏動は、そうした決まりごとや⾃社の理念に合致しているか。
⼈間(People) 今、とろうとしている⾏動は、ステイクホルダーや社会にどのような影響をもたらすか。それは社会全体の利益や幸福につながるか。同時に、少数弱者への配慮をしているか。
「目的(Purpose)」の視点は、事業活動や仕事において非常に重視されてきた、“成果志向”“戦略志向”の価値観といえます。
望ましい結果を得るために、いかに効率的・効果的に資源を⽤いるかを検討し策を講じていくことは、基本的にこの価値観に根ざしていると⾒ることができます。

これに対し、「原則(Principle)」の視点は、結果の如何に関わらず、「そもそも⼤切にすべきこと」や「守るべきこと」を重視する価値観です。
「法令遵守」の意味でのコンプライアンスは、この原則のうち「法令」に焦点を絞ったものといえますが、「3つの視点」ではより広く「⾃社の経営理念」や「個⼈としての信条」あるいは「⼈としてどうか」といった観点も含まれます。
そこには「結果の如何に関わらず」といった意味合いが含まれてくるため、この「原則(Principle)」の視点は、「目的(Purpose)」の視点のちょうど反対の極にあると⾒ることもできます。

そして、「⼈間(People)」の視点は、先に⾒た「ステイクホルダー」の考え⽅と概ね共通した価値観です。
ただしここでは、「社会全体の(より⼤きな)益」と「少数者への配慮」を同時に考えるといった観点も付加されています。
私は、「目的(Purpose)」の視点が⺠間企業の⼀般的な/⽀配的であった価値観であるとすれば、⼈間(People)の視点は、⾏政や⾃治体により期待されている/されてきた価値観と解釈しています。そして今⽇では、⾏政や⾃治体にはより戦略的な思考、すなわち「目的(Purpose)」の視点が、⼀⽅で⺠間企業には“社会の公器”としての⾃覚、すなわち「⼈間(People)」の視点が、より求められるようになってきていると考えています。

私が、この「3つの視点」をここで取り上げたのは、これらの視点が互いにバランスのとれた補い合う関係であることに加えて、その主張が「できるだけ、これら3つの視点のいずれもが成り⽴つ策を探す/創出する」ことを求めているからです。
CSRや企業倫理の話をしていると、「事業活動の目的は結局のところ、競争に勝つこと/⾦儲けでしかない」「余裕がある企業が慈善活動をするのは結構だが、本業はそんな“きれいごと”ではいかない」といった反論をいただくことがあります。それは、ここでいう「目的(Purpose)」の視点のみを重視すべきとする主張ととらえることもできるように思います。
しかし、そうした“成果を求めること”を否定するのではなく(否定すれば、それこそ“きれいごと”になってしまう)、それも含めて、意思決定や判断の際に考える視点を広げてみる、策を創出するハードルを少しだけあげてみることは、決してまだ不可能なことではなく、より“すぐれた”解を⽣み出す現実的な⽅策だと思います。

あらためて着目されている、「原則」としての経営理念

ここまで、事業活動において、「⼈」がより“すぐれた意思決定”をするための知⾒や考え⽅をご紹介しました。
ただし、「組織の中の⼈」、すなわち従業員が判断や意思決定をし、実際に⾏動するには、本⼈の考え⽅だけでなく、その周囲(集団)や組織の有り様が⼤きな影響を及ぼします。
その影響や要因には様々なものが挙げられますが、ここではその1つのトピックとして、経営理念や価値観の役割について考えてみたいと思います。

経営理念は、⼀般的に「事業活動や経営を、何のために、いかにして⾏っていくのか」を表明したものと理解されます。判断や⾏動の拠りどころとすべきもの、といった説明もよくなされます。

それでは、こうした「経営や従業員の拠りどころ」である経営理念は、不変のものなのでしょうか。

いくつかの調査や研究によれば、1960年代以降の約半世紀の間だけを⾒ても、「経営理念は、変化してきている」と⾔って差し⽀えないようです。
その変遷をごく粗く要約すれば、1960年代の企業理念では「社会」への視座もあるものの「奉仕/和」といった個⼈の姿勢と「会社の発展/向上」といった組織の発展に関するものが多く⾒受けられるが、その後1980年代以降になると「顧客満⾜」や「社会貢献」といった“社外に目を向けた”姿勢に基づくものが目⽴つようになり、2000年代に⼊ると「社会との共⽣」「顧客満⾜の向上」「地球環境への配慮」といったステイクホルダーをより意識した内容表現が目⽴つようになった、ということになります。

そして今、「経営理念」は、すくなくとも次のような2つの理由から、あらためて着目され、重視されていると私は考えています。

1つは、グローバル化の進展や従業員の価値観の多様化をきっかけに、「制度ではなく、規範で」組織の構成員を束ね、1つの⽅向に向かわせる必要が⽣じていることです。
海外に進出すれば、国ごとに⽂化も、価値観も、社会的な慣習も異なり、⼈に関する「制度」もある程度現地の環境に適合させざるを得なくなります。しかし、「制度」は異なっても、⾃社の⼀員として統合していかなければならない。その統合のために、経営理念という「規範」を⽤いていこうということです。

もう1つは、先の「3つの視点」で挙げた「原則(Principle)」としての役割、⾏きすぎた結果志向/成果志向に陥らないようにし、思考の健全なバランスをとるために「もう⼀⽅の極を⽰す」役割への期待です。

もし経営理念に、先に挙げた「ステイクホルダーへの視座」や「3つの視点」の要素が含まれていて、それが⼀⼈ひとりの「⼈」の価値観として共有され、意思決定の軸として根づいているならば、こうした要素や理屈をあらためて難しく考えるまでもなく、社会性をもった“よい企業”としての素地は整っているといえるでしょう。

こうした、「経営理念」とその共有、そして意思決定の関係をシンプルに整理すると、図2のように表すことができます。

仕事の意味に「社会性」を⾒出すことが、⼈と組織の新たな成⻑につながる

最後に、このようにいくつかの視点や経営理念などによる価値観に基づいて、“よりすぐれた意思決定”をすることが、従業員という「組織の中の⼈」⾃⾝にとって、どのような意味をもちうるのかに触れておきたいと思います。

これまでの話は、どちらかといえば、“よい企業”たる“すぐれた意思決定”のために、「⼈」の判断の拠りどころをいかにもつかという観点で展開してきました。
私は、こうしたことを通じて、働く⼈⼀⼈ひとりが⾃らの仕事に「社会性」という意味を⾒出すことができたならば、その⼈は、より強い動機づけ(モチベーション)と“働きがい”を得ることができると考えています。

⼈はどのような欲求に基づいて働くのかということには、多くの知⾒と研究の歴史がありますが、それらにひとつ加えて、「社会性」という意味の探求ということもまたこれからは、⽋くことのできない観点となると思います。
もし、そうした新たな「仕事の意味づけ」がなされたならば、業務活動の現場から「企業の社会性」に結びつく改善や提案がなされ、それが「本業を通じた社会貢献」につながり、そのような姿勢をもって仕事に取り組む「⼈」⾃⾝もまた “よき”職業⼈⽣を全うすることができる-こうした連関を描くことは、あまりにも理想主義的な絵空事、でしょうか?

こうした主張が絵空事かどうかを確かめるために、いよいよ次回以降では、様々な先⽣⽅にご登場いただき、お考えをお伺いしていきたいと思います。

(学校法⼈産業能率⼤学 総合研究所 本橋 潤⼦)