海外生活のヒント ~イギリス編(その2)~

共存する多民族社会

英国での長い学生生活を終えて、彼の地を離れてから12年が過ぎました。
その後、4カ国で生活してきましたが、英国は外国人にとって住みやすい国だと言ってよいかと思います。

長い植民地支配の歴史のおかげで外国人慣れしているのか、国内のどの街に行っても、往来で奇異な目を向けられることはめったにありませんでした。
英国人は全般的に個人主義で、親しい友人になるには時間がかかると言われていますが、差し当たり外国人を敬遠する風潮はないので、こちらから助けを求めれば、喜んで手を差し伸べてくれます。

私は一留学生としての英国滞在だったために、地域の一員となる機会はありませんでしたが、そもそも、英国人の外国人に対するスタンスとして、「同化」や「適応」をあまり期待していないように思います。多種多様な出自の人々が住む国にも関わらず、彼らは未来永劫(というのも大げさかも知れませんが)「XX系英国人」と呼ばれ続けるのが、その一つの反映でしょう。

私は英国の大学の空席ポストに応募したことが何度かありますが、オンライン求人フォームの最後には大抵以下のようなアンケートがあります。

まず、マイノリティの採用を促進し、大学コミュニティの多様性を保つためのもの、と説明されています。
そして、「あなたの性的アイデンティティは?」「宗教は?」等々、およそ政治的に正しいと思えない質問と共に、「あなたはどの人種グループに属するか」という質問が含まれています。
その回答選択肢としては(1)白人英国人、(2)黒人英国人、(3)中国系英国人、(4)インド・パキスタン系英国人、(5)その他のアジア人、(6)それ以外、と続きます。

多様性のイメージ写真

これらの人々は、英国内で各々のコミュニティを形成し、いわば「並存」していますが、各集団やいわゆる白人英国人との間に対立がある訳ではありません。
現在のロンドン市長はパキスタン系ですし、国会でも、アフリカ系やインド・パキスタン系(英国では、彼らをアジア系と称する)の議員は少なくありません。すなわち、英国の多民族社会は「統合」ではなく、並立し、共存するという形をとっているのです。

階級社会とアイデンティティの確立

同様のことは、階級についても言えると思います。英国の階級社会に関する詳細は割愛しますが、ここでは差し当たり、階級の存在自体は、英国社会が「階級闘争」の様相を呈していることを意味する訳ではないことを指摘しておきます。
英国の労働者階級、中流階級、貴族階級は、歴史的に「並存」してきたのであり、それぞれの間で目立った反感もありませんが、交流もありませんでした。

階級社会のイメージ写真

1997年以降の労働党政権が、福祉政策見直しや所得税および法人税減税など、保守党政権の路線をほぼ引き継いだ結果、英国経済は好況となりましたが、貧富の差はそれまで以上に拡大しました。
すなわち、諸般の自由化政策の結果、労働者階級の中でも大きな富を手にし、中流階級(英国の文脈では、ある程度の資産を持つ層を指す)への階級移動を成し遂げる者が出てくるようになったのです。

かつては、貴族階級にとって、中流階級の中でも特に富裕となった層(Upper-middle classと称される)は、警戒と共に、「成金者」へのある種の侮蔑の対象でさえありました。しかし、90年代以降の英国では全くそうではないどころか、むしろ両者は良好な交友関係を持つに至りました。
最近の英国王室における2つの結婚式にも、王侯貴族や各国首脳のみならず、大企業経営者、スポーツ、芸能、ファッションなど、各界の有名人(いわゆる「セレブリティー」)が世界中から招待されましたし、そもそも2人の王子の結婚相手も貴族階級ではありませんでした。
階級によってほとんど全てが決定づけられていた一昔前の英国では考えられないことでしょう。

私自身は一時滞在の外国人(訪問者)だったので、階級社会やエスニック・グループなど、英国社会に並立するいずれの諸集団にも包含される立場ではありませんでした。
その上、同質性の高い日本社会では、多かれ少なかれ誰もが感じるであろう、同調圧力とでも言うべきものからも全く解放されていた英国での8年余りは、個人としての自分だけがアイデンティティの拠り所であり、福沢諭吉の言う「独立自尊」の確立に向けた、苦しくも貴重な時間となりました。

その後も複数の国で外国人として長く暮らしていくことになるとは、その時点では予想もしていなかったものの、外国人として生きのびる上で必要とされる精神力と心構え(主に、孤独に対する耐性と、必要なときに助力を乞う勇気)の基盤を英国の地で築くことができたと思っています。