海外生活のヒント ~イギリス編(その1)~

2000年代始めのイギリス・ロンドン

1998年、私は1年間のつもりで、ロンドン大学に留学のため渡英しました。
しかし、修士課程を修了後、博士課程に進んだため、8年余りを英国で生活することになります。

イギリス ビッグベンの写真

特に最初の1年は、到着早々、住居探しのトラブルから始まり、ひったくり、病気や怪我など、日々、何らかの問題と格闘していました。学問よりも生活上の問題であまりに時間も心身も消耗したため、翌年に学位を取れたことが奇跡のように思えたものです。

20代半ばからの8年間という、私の学問的・人間的成長にとって決定的な時期を過ごした英国での「外国人」生活について、そのごく一端ですが、ご紹介してみたいと思います。
英国編その1では、90年代終わりから2000年代始めにかけての、極めて英国的英国における諸々について、お伝えしましょう。

私が渡英したのは今から21年も前の1998年夏。労働党政権下における英国の変化を(外国人なりに)感じることもありました。伝統を重んじる英国にあっても、EUの政策やグローバル化による影響が否応なしに顕実化してきた時期であったように思います。

私が渡英した頃のロンドンは、繁華街ですら、店内が何となく暗く、薄汚れていて、全体的にくたびれた街という印象でした。
それが、2000年代以降、多くの場所で、街の明るさや洗練度は目に見えて上がり、店員の対応もずいぶん愛想よくなりました。床が木製の地下鉄やバスなども一掃され、それはそれで情緒がありましたので、何やら一抹の寂しさを感じたものです。

この期間は、かつて英国病と言われたほど落ち込んでいた英国の経済状況が改善した一方で、貧富の差が大きく拡大した時期でもありました。
労働党は、その名の通り労働者の権利を守る政党であったはずですが、昨今は保守党同様に富裕層出身者で占められており、階級社会への態度という点で、両者の間に目に見えた差はなくなっているかもしれません。

イギリス・ロンドンの住宅事情

私は抽選に外れて大学の寮に入れなかったため、渡英前から雲行きが怪しい門出となりました。

イギリスの住宅地の写真

自分が英国で住居探しをするまでは全く知らなかったことですが、英国の不動産業界は評判が悪く、さまざまな悪徳業者も蔓延っています。それにもかかわらず、法律上は、住人よりも圧倒的に賃貸人が保護されており、契約期間内の退去に関する厳しい罰則規定や、人種をはじめ、さまざまな理由(言いがかり)で、賃借人を選り好みすることも日常茶飯事でした。
こうした状況は社会的に問題視されていたものの、現在に至るまで、大きな改善は見られないようです。

ロンドン市内に学生の予算で賄える物件を見つけることは簡単ではありませんでしたが、幸いにも北ロンドンにアパートを見つけ、ここに帰国まで住み続けることになりました。

大家さんはDIYが趣味のような方で、アパートに故障や問題があると、すぐやって来て、修理してくださいましたが、これはかなり幸運なことだったと後になって分かりました。英国には新築物件があまりなく、ビクトリア朝時代以来の物件を使い続けている場合が多いため、故障や不具合は日常茶飯事です。したがって、トラブルが起こることは前提として、少なくとも早急に対処してくれる家主であるかどうかを見極めることが重要になります。
とは言え、外国人が物件を探す際には、こうしたことは考えもつかないことで、毎日のように故障やトラブルに見舞われ、修理もしてもらえないという話も多く耳にしました。

これは住居のみならず、街中も同様であり、ロンドンは世界に先駆けて地下鉄や下水道などのインフラ整備が進んだ都市である一方で、その当時に最新鋭であった設備を使い続けてきたために、いつ通っても何らかの工事中(修理中)という場面を多く目にしました。

イギリスの工事現場の写真

私が在学していたロンドン大学政治経済学院(LSE)は、世界に名だたる大学ですが、在学中を通じ、学内のどこかしらが常に工事中で、不便を余儀なくされておりました。

今年3月に久しぶりにロンドンを訪問する機会があり、LSE近辺を歩いてみたのですが、相も変わらず、工事は続いておりました。

景気の好転と、グローバル化による外国人投資家の参入を受けて、ロンドンの不動産価格は激しく高騰しました。
現在では、学生はおろか、社会人であってもロンドン市内に居住することは不可能に近く、その意味で、私は留学生として「古き佳き(?)」ロンドンを経験することができた最後の世代なのかもしれません。

>その2へ続く