人材育成に関する人的資本の情報開示とは?~最新調査から見る企業の実態と課題~

近年、企業の持続的な成長に向けて「人的資本経営」が注目されています。特に、人的資本の情報開示は、企業の成長戦略や競争力を示す重要な取り組みとして位置付けられており、投資家を始めとするステークホルダーからの関心が高まっています。本記事では、人的資本の情報開示の中でも特に「人材育成分野」に焦点をあて、最新の調査結果をもとに、企業の実態と課題について解説します。
筆者プロフィール

学校法人産業能率大学 総合研究所 マーケティング部 マーケティングセンター
丸山 夏子
(Maruyama Natsuko)
大手調査会社にて企業の課題に応じた調査企画・提案に従事。その後、学校法人産業能率大学総合研究所へ入職し、人材開発領域の調査企画・分析を担当。
直近の調査に『第9回マネジメント教育実態調査』など。
そのほかHRサミット2024に登壇し、「若手社員の働きがいを向上させる人材マネジメントとは」をテーマに調査結果を発表。
※所属・肩書きは掲載当時のものです。
人的資本とは?
人的資本とは、従業員の持つ知識、スキル、経験、意欲などを、企業の成長を支える「資本」として捉える考え方です。
従来の経営では、人材は単なる経営資源の一つとして考えられていましたが、現在では企業価値を高めるための「投資対象」として位置づけられています。
企業の教育費の推移に関する調査では、3年前と比較して43.6%の企業が「増加している」と回答しており、人的資本への投資が拡大している状況が伺えます。
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人的資本の情報開示とは?
人的資本の情報開示とは、企業が自社の人的資本に関する情報を整理・分析し、外部ステークホルダーに向けて公表する取り組みを指します。
近年、企業の成長や競争力の源泉として、人的資本、知的財産、ビジネスモデルなどの無形資産が重要視されています。中でも人的資本への投資は企業の持続的な成長や競争力向上に直結する要素とされており、投資家をはじめとするステークホルダーからの注目が高まっています。そのため、企業が将来の成長に向けてどのような人材を確保・育成し、どのような戦略を持っているのかを明確に示すことは、投資判断においても重要な情報となっています。
また、人的資本の情報開示は、採用競争力や企業のブランドにも影響を及ぼします。特に近年では、多様な働き方やキャリア形成支援の必要性が高まっており、企業の方針や取り組みを積極的に開示することで、求職者や従業員の関心を惹きつける効果があります。さらに、ダイバーシティ推進や柔軟な働き方に関する情報を開示することは、企業の社会的評価を向上させることにもつながります。
では、人的資本の情報開示には、どのような項目があるのでしょうか。
内閣官房は「人的資本可視化指針」の中で、代表的な開示標準基準における主な開示事項を紹介しています。
これらの項目は、従業員の成長支援や多様な人材が活躍できる環境の整備、さらには職場環境の改善やコンプライアンスの徹底といった、企業が持続的に成長するために不可欠な要素を示しています。
中でも「人材育成に関連する開示事項」は、従業員がどのように能力を伸ばし、長期的な成長基盤を形成していくのかを具体的に示すものであり、企業の将来性を客観的に評価する上で特に重要な要素となっています。
人材育成に関する人的資本情報開示とは?
人材育成に関する人的資本の情報開示の具体例として、内閣官房は『人的資本可視化指針』の中で、以下の項目を紹介しています。
このように、研修にかかる時間や費用といった人材育成への投資内容だけでなく、リーダーシップ育成やスキル向上プログラムの具体的な取り組み、さらにはそれらの施策によって得られた成果を客観的に評価する指標などが含まれています。
人材育成に関する人的資本情報開示の実態は?
企業は人材育成に関する人的資本の情報開示をどのように進めているのでしょうか。179社の人事担当者を対象に実施した調査結果から、その実態を見ていきましょう。
①人材育成に関する情報開示の有無
人材育成に関する人的資本情報の開示状況を尋ねたところ、「行っている」と回答した企業は24.6%、「行っていない」と回答した企業は75.4%でした。企業全体の約4割が3年前と比較して教育費を増加させている一方で、人的資本の情報開示に取り組んでいる企業は4社に1社程度にとどまり、十分に浸透しているとは言い難い状況です。
一方で、企業規模や上場の有無で比較すると、従業員数が多い企業ほど情報開示の実施率が高くなる傾向があります。特に上場企業では実施率が約6割に上ります。これは、金融商品取引法に基づく有価証券報告書において人的資本に関する情報開示が義務付けられていることが影響していると考えられます。このように、開示義務の有無が企業の取り組み状況に大きな影響を与えていることが伺えます。

②情報開示の具体的な内容
人材育成に関する人的資本情報開示を実施している企業に対して、その具体的な内容を尋ねたところ、「研修時間/学習時間」(43.2%)や「教育費用」(43.2%)といった研修の実施状況や投資内容については比較的多くの企業が公表していました。一方で、「研修や人材開発の効果」(13.6%)など、投資の成果(アウトカム)に関する情報開示を行っている企業は依然として少ないことが明らかになりました。このように、多くの企業が人的資本に対する投資(研修時間や費用など)を開示する一方で、その投資がどのような具体的成果につながっているのかについては、まだ十分に示されていないのが現状です。

実態からみる今後の課題
①人材育成に関する人的資本情報開示の拡充
調査の結果、人材育成に関する情報開示を実施している企業は全体の約25%にとどまり、従業員規模や上場の有無によって開示の実施率に大きな差があることが明らかになりました。現状、金融商品取引法第24条により有価証券報告書の作成が義務づけられている大手企業は積極的に開示を進めていますが、人的資本の情報開示は必ずしも大企業や上場企業だけが取り組むべきものではありません。
実際に、統合報告書を任意で発行する企業は年々増加しており、2023年には1,000社を超えています(※企業価値レポーティング・ラボ調査より)。また最近では、サステナビリティレポートや中期経営計画、IRウェブサイトなど、さまざまな媒体を通じて積極的に情報を開示する企業も増えています。
また、人材戦略や社員の成長支援策などを具体的に示すことで、労働市場において優秀な人材の関心を引きつける効果も期待できます。特に若手社員は「成長機会」や「キャリア支援」を重視する傾向にあり、積極的な情報開示が企業のブランド価値向上や採用競争力強化にも寄与すると考えられます。このように、人的資本の情報開示は、大手企業や上場企業に限らず、多くの企業にとって意義のある取り組みといえます。
一方、中小企業においては、教育投資額が大企業に比べて低水準にとどまり、十分な人材への投資がなされていないケースが多いのが現状です。情報開示を進める前に、まずは人材を単なる「コスト」ではなく、「将来の成長を支える重要な投資対象」と認識し、その重要性を改めて見直すことが求められます。人的資本情報開示の拡充は、単に企業の透明性を高めるだけでなく、企業の持続的な成長にとっても重要な取り組みとなります。今後は、企業規模に関わらず、人的資本に対する理解と投資を進め、その成果を可視化することが、ますます重要になるでしょう。
②経営戦略と連動した人材育成に関する人的資本の情報開示
調査結果によると、多くの企業は研修の時間や費用など「インプット」に関する情報開示を積極的に行っていますが、それらの投資がどのような成果(アウトカム)をもたらしているかに関しては依然として限定的な開示にとどまっています。
人的資本の情報開示では、単に投入した資源を示すだけでは不十分であり、それらがどのような成果につながり、最終的に企業価値向上にどう貢献したかを明確に伝える必要があります。特に、人材育成のように成果が数値化しにくいテーマでは、「どのような施策を実施した結果、どのような成果が生まれたか」というストーリーを構築し、経営戦略との関連性を示すことが重要です。
しかし、現状では多くの企業において、人材育成が経営戦略と必ずしも十分に連動していないという課題があります。人事部門が独立して施策を実施し、経営戦略とは切り離された形で研修や教育プログラムが運用されるケースが少なくありません。その結果、人材育成が単なる研修実施の枠を超えず、企業全体の成長戦略と整合性のある形で機能していない状況が見られます。
経営戦略との連動を強化するためには、経営戦略を達成するために必要な人材像を整理し、その人材を獲得し、育成するための取り組みをフォアキャストの視点で精緻化していくことが求められます。この過程では、人事部門が独立して施策を立案するのではなく、経営視点から人材育成を捉え、経営陣と密接に連携しながら戦略的に推進することが重要です。そのうえで、施策の成果を客観的に評価できるよう、指標や目標を設定し、それに基づいた進捗を可視化する仕組みを整える必要があります。そうすることで、単なる投資内容(インプット)にとどまらず、投資による成果(アウトカム)を示し、自社の企業価値や競争力の向上にどのように寄与しているのかを、説得力をもってステークホルダーに伝えることができます。
こうした情報開示の取り組みは、企業にとって自社の人材育成体系を見直す機会にもなります。現在の施策や体系が経営戦略の実行にどの程度貢献しているのかを整理することで、新たな施策の立案や既存施策の改善につながります。人的資本の情報開示を契機として、自社の人材育成戦略を再評価し、より効果的な人材開発へとつなげていくことが重要です。
まとめ
いかがでしたでしょうか。本記事では、人材育成における人的資本の情報開示について、調査結果を基に解説しました。人的資本、とりわけ人材育成に関する情報開示は、企業の持続的な成長や競争力の向上に不可欠な取り組みです。OJTやOff-JT、自己啓発など多様な育成手法を組み合わせ、具体的な成果を伴った情報開示を行うことが、企業価値の向上に直結します。
以下の資料では、通信教育やeラーニングといった人材育成の具体的手法に焦点を当て、それらが企業現場でどのように活用されているか、実態や効果的な活用方法を詳しく考察しています。また、人材育成に関する情報開示を実施している企業が、具体的にどのような教育手法を用いて情報開示しているか、詳細な調査結果も掲載しています。ぜひ併せてご確認ください。
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