【特別対談】「越境学習」をめぐって 石山恒貴 法政大学大学院教授 × 齊藤弘通 産業能率大学准教授(後編)

変化の激しい時代への即応力を求めるのか。あるいは新しい時代の価値創造力を求めるのか。近年、越境学習ヘの期待が多方面から高まっている。そもそも越境学習とは何か。何を越境し、何を学ぶのか。いまだ十分に周知されているとは言えない越境学習とその可能性について、二人の専門家に率直に話し合っていただいた。

越境学習

人はなぜ越境学習に踏み出すのか。最初の一歩を促す要因は何であるのか。

――越境学習を楽しそうと思って始める人や危機感を持って始める人など、さまざまなんですね。

きっかけについて言えば、三つぐらいあるのではないかと思っていまして、一つは今おっしゃった個人の特性のようなものがありますよね。好奇心が強い人なのか、わりと新しいもの好きな人なのか、フットワークが軽いのかといった個人の側の特性が確かにあると思います。

二つ目は、周囲の働きかけや影響で、友達が行って面白そうだったから自分もやってみようという話もあるだろうし、場合によっては、私自身がそうだったのですけども、最初の会社で行きたくもなかったけれども強制されて、企業研修の一環としてしばらくの間、週に一度はここに行って勉強しなさいという話があって、行ってみたら意外に面白いというようなケースです。強制されたことがきっかけで目覚めるという例もありますね。

三つ目は個人の意識で、先ほど指摘されていたような、このままだと、自分の能力は伸びない、止まってしまっているというような自覚。他人に働きかけられるのとは関係なく、キャリアの焦燥感のようなことを感じているときに自発的に行くということもあると思います。

石山恒貴氏
齊藤弘通氏

強制アプローチの場合は、行った場所のレベル感というものが大事な気がします。いきなりハイレベルなところに行かされてしまうと、自己効力感が得られないし、無力感にとらわれることもあるかもしれない。常々思っていることなのですが、ハードルの低い教育基盤や学習基盤をもっと広げていかないと、越境学習として広がっていかない気がします。

越境学習と似たワードとして、パラレルキャリアというものがありますが、このパラレルキャリアというのは、二つ以上のホームとアウェーのように、二つ以上の状況のところに同時にいることなのです。そしてパラレルキャリアの話をすると、よくあるのが「そう言われてみると自分はパラレルキャリアだった」という反応なのです。

ここに気づくことが大事だと思っています。例えば、会社に勤めている人がPTAに参加したとします。その際に、なぜ自分はPTAに参加したのか、ただPTAで役員をやらないと子どもに影響が出ることになるかもしれないといった義務感だけで参加し、振り返らなければ、そこから特に学びは何も起きないのですけど、PTAに参加したこと自体を自分で越境だと思ってみると、まるで違ってくるわけです。なぜ会社のコミュニケーションとPTAのコミュニケーションは違うのかと考えるだけでも、意味がある。最近では、MBAよりPTAという言葉もあるくらいで、学ぶことが多い場であるわけです。しかし、あくまで主体的に振り返りをしないと学びは起きないと思うので、やはり経験学習というのも大事なのかと思います。

石山恒貴氏

プラットフォームさえあればそこが越境学習の場。

――越境学習の場というのは、今、どんな広がりを見せているのでしょうか。

私が考える越境学習の場というのは、先ほどから申し上げているように、状況が違う場所に行ったら、それが越境学習になるということです。

どのような場であっても、私は越境学習になると思っているのですけども、極端に広げてしまうと収拾がつかなくなってきますので、最近はやりの言葉でいうサードプレイス、家でも会社 でもない自発的に集まっている人たちの第3のコミュニティ。そういったものが越境学習の場になると考えています。SNSやPeatix (ピーティックス)などで、ちょっとした勉強会やコミュニティのようなものが、たくさんできています。

石山恒貴氏
齊藤弘通氏

確かに、いきなりフォーマルな大学院などに行くのはけっこうハードルが高いですからね。お金もかかるし、配偶者も説得しなくてはならない。いざやろうと思ったら、踏み込みにくいという世界があるけれども、自分自身のこれまでを見つめ直したり、もやもやした問題意識を少し話したりしてみたいといったときに、そうしたゆるい関係性でのコミュニティがもっとあれば、大変面白いと思うし、民間レベルでどんどん立ち上がっているというのは、昔はなかった現象だと思いますね。

人間というのは、根源的に学ぶことが楽しいのではないかと思うのです。だけどアイデアがないと、学びの楽しさというものが、学びと切り離されてしまうこともあります。また、学びは大学や大学院という制度的な場所でないとできないと誤解されていますけど、プラットフォームさえあれば、そんな制度的なものでなくとも誰でも学べるものです。

石山恒貴氏

知恵の取り合いと異種混合が進む時代だからこそ越境学習が求められる。

――企業は今なぜ越境学習に力を入れているのか。その背景や目的は何だとお考えですか。

第4次産業革命のようなことが起こってくると、今までであれば、大きなことをするのには、大きな組織で、長期間一緒にいる人たちと長い時間をかけてやらないとできなかったことが、わずか3、4人がぱっと集まって、半年ぐらいのプロジェクトで一気にできてしまうかもしれないという時代になるわけです。すると、そうした知恵の取り合いと異種混合のようなものが必要になってきているんですね。企業からすると、そういう新しい発想や新しい視点を取り入れるためには、越境学習がいいということで、ある意味では当然な流れとも言えます。

石山恒貴氏
齊藤弘通氏

さらにキャリアの問題もありますね。指摘されたような社会状況によって、自律的なキャリア形成というものが今まで以上に求められているという社会的な文脈もあります。

確かに最近企業の方とお話ししていると、いわゆるミレニアル世代と言われるような若手は、社会貢献や新しいことへの挑戦、そうしたことをして承認されたいという気持ちが強い傾向があると指摘されます。

そうすると、うちの会社のことだけに目を向けなさいということ自体が反発を招いて、人材流動性が高まってしまうという懸念もあるので、それであれば外部のことを知るのもいいかもしれないとなる。これには難しい問題もあって、結局のところ、越境学習や副業を推奨する企業というのは人材の流動性が高いのです。高いのだけれども、そうした企業というのは、社員が外に輩出されて広く社会で活躍するのだからそれでいいという、ある種の割り切りも持っています。しかし、割り切りができない企業は、越境学習をするから社員が留まるのか、あるいは越境学習をするから社員が流出するのかという悩みがあって、流出するのなら越境学習は奨めないということになってしまう。

石山恒貴氏
齊藤弘通氏

それはキャリア開発やキャリア研修の文脈でも、ずっと言われてきていることですよね。キャリア研修をやったら、会社を辞めてしまうのではないか。越境学習をしたらそちらのほうがよく見えるから、そちらへ行ってしまうのでないかという危惧。

でも留職なんていうサービスがあったりしますけど、そういう体験で、発展途上国の課題解決に関わることで、自分自身の立ち位置を見直すことができたとか、もう一度自分のスキルを磨き直そうと思ったとか、そういうモチベーションの向上につながる事例もあります。全体で見ると、もしかしたら流出というか輩出が多いのかもしれませんが、それでも良いという腹のくくり方(覚悟)が企業には必要になってきているんでしょうね。

越境学習を奨めると同時に、自社の企業文化や風土をどのようにつくっていくか。

――これからの越境学習のあり方や展望など、企業の教育担当者に伝えたいメッセージなどをお願いできますか。

人材育成や越境学習の今後ということで言うと、考えなくてはならないのは、企業が越境学習を推進するときの企業と個人の立ち位置というか距離の問題で、指名や強制的な要素も有効なのですけども、すべてそれだけにしてしまうと、何か限界があると感じます。例えば、会社丸抱えの越境学習となってくると、それは本当に越境なのかという疑問も生じてきます。もっと大事なのは本人たちが自発的に越境するということを組織が阻害しない、越境で外に行って学ぶということはいいことだと推奨される組織文化を持つことなのではないかと思っています。ですから、そういう組織文化・企業風土のようなものを、どうつくるかというのが、今後の人材育成の重要なポイントになるのではないかと考えてもいます。

石山恒貴氏
齊藤弘通氏

私は、上長やマネジャークラスがいかに外に行き、学び直すかということが大事かなと思っています。やっぱり行って面白いとか、違う視点を手に入れられたという経験が高まっていけば、君も行ってこいという話になると思うのです。

ですから、いかにマネジャークラスが勉強し直すかということが大事なんだと思います。でも、それを自発的にやらせようとすると、マネジャークラスは、だいたい40代50代ぐらいが多いでしょうから、家庭でのいろいろな負荷が一番かかる時期ですよね。子育てや介護の問題などもあるでしょう。そういうものを脇に置いたうえで、あるいは両立したうえで越境させるというのは、非常に大変なことです。ですから、そこへのサポートのようなものも大事になるでしょう。

こうして、上長が学び直しを始め、それを有益だと感じるようになれば、部下にもそういった機会を提供する、まさに上長が学び直していけば、部下にもそういった機会を提供する、まさにいまご指摘されたような組織文化が育っていくのかもしれません。

また、越境は社内でもいいと思うのです。社内のいろいろな実践共同体、コミュニティ、そういうものを創出して、さまざまな事業部の人と交流させる機会をつくることも越境学習になります。

そうですね。今、社内で自発的な交流をするコミュニティづくりのようなことに取り組んでいる企業がいくつもあります。そういった企業は社内のサードプレイスということを標榜していて、会社の中で職場を超えて、いろいろな人たちが集まる場をつくっています。そういう取り組みもいいかもしれないですね。フューチャーセンターもそうです。

石山恒貴氏

自分の今が当たり前でなかったことに気づく越境学習はフィールドワークと同じ

――個人の視点では越境学習をどのように考えたらいいでしょうか。

齊藤弘通氏

個人側の視点に立ったときには、常々、私は言っているのですけど、自分の当たり前を疑っていく姿勢を持つということが大切だと思うのです。自分の当たり前というものは、当たり前だから気づかない。だけど越境すれば、自分の当たり前が当たり前でなかったということに気づく。例えば、小学生のときに友達の家に行くと、なんだか自分の家と違う雰囲気がある。その体験を通じて、自分の家と友達の家の違いや普遍や特殊ということに気づいたりするわけですよね。

確かにそれは分かりやすい。

石山恒貴氏

越境学習によって・・・

越境学習によって違和感を覚える

  • 自分にとっての「当たり前」や「常識」「暗黙の前提」に気づく
  • 「自分は何者なのか」に気づく
  • 自分にとっての「当たり前」が「当たり前でなかった」ことに気づく
  • 自分がこれまで「学習」してきたことが相対化される
  • 予定調和が壊れる


新たな発想が生まれる可能性が高まる

©齊藤

齊藤弘通氏

その意味で越境学習というのはフィールドワークに近いものではないかと思うのです。フィールドワークをすると、「自分のところと違う」ということに気づく。結局、フィールドワークをすることによって「自分を知ることができる」という側面がありますが、それと越境学習というものが非常に近いのかなと思います。ですから、越境学習というのは、「自分とは何であるのか」という根本を知る機会、「自分の当たり前とは何か」ということを知る機会なのだと いうことを、もっと企業の人たちは理解するべきだし、また、個人としての自分も越境することで、自分は何者なのかということにもっと自覚的になっていくべきだし、「自分の当たり前が当たり前でなかった」と気がつくことによって、真のイノベーションや新しい発想などにつながっていくのかもしれません。まさに越境学習とフィールドワークとは近いのかなという気がします。

このコラムの内容は「通信研修総合ガイド2020」に掲載されています。

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