【特別対談】「越境学習」をめぐって 石山恒貴 法政大学大学院教授 × 齊藤弘通 産業能率大学准教授(前編)

「変化の激しい時代への即応力を求めるのか。あるいは新しい時代の価値創造力を求めるのか。近年、越境学習ヘの期待が多方面から高まっている。そもそも越境学習とは何か。何を越境し、何を学ぶのか。いまだ十分に周知されているとは言えない越境学習とその可能性について、二人の専門家に率直に話し合っていただいた。

越境学習

プロフィール

  • 齊藤弘通氏齊藤 弘通(さいとう ひろみち)
    産業能率大学 経営学部
    准教授
    ※肩書は掲載当時のものです
    慶應義塾大学文学部人間関係学科教育学専攻卒業、法政大学大学院政策科学研究科修士課程修了、法政大学大学院政策創造研究科博士課程修了。博士(政策学)。専門社会調査士。1998年に産業能率大学に入職し、社会人教育部門にて、企業を対象とした研修プログラムの開発や人材開発に関する実態調査等の業務に携わった後、現職。わが国の高等教育機関における社会人教育の実態やそこでの学修効果、企業内教育との接続のあり方などについて調査・研究を行っている。学部の専門ゼミではフィールドワークや行動観察、インタビュー調査といった質的な調査手法とその考え方を教え、学生の「問題発見力」を高める教育に力を入れている。石山恒貴氏らとの共著に「キャリア・チェンジ」(生産性出版)がある。
  • 石山恒貴氏石山 恒貴(いしやま のぶたか)
    法政大学大学院イノベーション・
    マネジメント研究科兼担教授
    法政大学大学院政策創造研究科教授
    ※肩書は掲載当時のものです
    一橋大学社会学部卒業、産業能率大学大学院経営情報学研究科経営情報学専攻修士課程修了、法政大学大学院政策創造研究科政策創造専攻博士後期課程修了、博士(政策学)。一橋大学卒業後、日本電気(NEC)、GE(ゼネラルエレクトリック)、バイオ・ラッドラポラトリーズ株式会社執行役員人事総務部長を経て、現職。人材育成学会奨励賞受賞。「時間と場所を選ばないパラレルキャリアを始めよう!」(ダイヤモンド社)「越境的学習のメカニズム」(福村出版)など多くの著作がある。

対談の様子(ダイジェスト)

受け止め方がさまざまな越境学習。所属する企業の外に出ることだけが越境なのではない。

――越境学習について造詣の深いお二人ですが、そもそも越境学習とはどういったものかについてお話ししていただけますか。

まず越境学習というものが人によって受け止め方がさまざまですので、その概念の定義から始めたいと思います。一番分かりやすいのは、企業の中から企業の外に行くのが越境学習という概念です。そうすると企業の外にある研究会や勉強会、あるいは社会人大学院などに通うのも、越境学習ということで分かりやすいと思います。ただ、私自身はもう少し幅広く捉えていて、必ずしも企業の外に行くことだけが越境ではないと思っています。そもそも越境という言葉は、境界を越えるという意味ですので、その境界が何であるのかもポイントになります。境界とは、あくまで自分にとってのホームとアウェイの境界であって、それを越えるのが越境学習だと私は考えているのです。

石山恒貴氏
越境学習のホームとアウェイの往還

同じような価値観、同じような考え方というひとつの状況=文脈があり、そこから別の文脈に行くことが、越境学習ではないかと。さらに言うと、これは必ずしも会社の外へ行くという話だけにとどまらず、文脈間を行ったり来たりする状態が越境学習ではないかと思うのです。私が考える越境学習というのは、Aという状況と、Bという状況を常に行ったり来たりすることで、Aという価値観と、Bという価値観が同時に自分の中に入っていて、不安定にさえなるような状態ではないかと思っているのです。

石山恒貴氏

ホームとアウェイを行き来する越境学習。得た知見をホームに生かそうとして摩擦が生じることもある。

――実際にはホームとアウェイの行き来はどのような効用をもたらすでしょうか。

齊藤弘通氏

今のお話ですと、学習理論的には状況学習のような部分が底辺にあって、状況の中から学んでいくというニュアンスが定義に含まれる考え方ですね。いろいろな状況に、多重に所属していくというかたちです。そうすると、Aという状況とBという状況、あるいはCという状況に自分が同時に関与していくことで、自分が一体なんであるのかを再確認し、見つめ直す。そういう効用があると捉えていいのでしょうか。

ホームとアウェイを行ったり来たりする感覚というのは、アウェイで学んできたことをホームの自分の業務などに生かすという意味合いも含んでいるのかなと思うのですが、必ずしもそうではない可能性もあるということでしょうか。

おっしゃるとおりですね。例えば、アウェイを仮に副業としたときに、副業している人に、あなたは本業に貢献するために副業をしているのですかと聞くと、たいていは的外れな質間になるわけです。本業でやらない面白いことを副業で経験したいからやっているので、別に本業に生かすためにやっているわけでないと答える人も多い。

ですから副業に行くことが本業への貢献という合目的性を持っているわけではないと思います。ですが、結果的には副業によって視点が広がると、そのことによって、その人の能力など が向上し、結果的に本業に生きるということもあると思います。そこは難しいところですよね。ただやはり、そこで得た知見を本業に戻したくなるという人が結構いるのも確かです。

石山恒貴氏
齊藤弘通氏

ホームに戻そうとしたときに、うまく戻せる場がある人と、そうではない人がいて、そうではない人は、だんだんアウェイの高揚感が失われていってやる気をなくしてしまうというケースがあります。逆に、本業に生かそうとすると、そこで摩擦が起きるということもありますね。ひと昔前によくいわれた事例では、国も越境して海外でMBAを取得、まさに越境学習した。戻ってきたら、横文字ばかり使って外国かぶれするな、といった批判を受ける。そういう逆カルチャーショックみたいな問題もあると思うのです。結局、アウェイで得た知見が本業に生かせないという問題ですね。

新しい試みに対する組織の本能的な反発や同調圧力。これらに対して、知恵と知恵をつなげて乗り越える。

私は、越境の達人みたいな方、十数人にインタビューしたことがあるのですが、間違いなく、ほぼ全員が一度は迫害されているんですね。それはやはりアウェイで得た知見などをホームに戻そうとすると、ホームのほうとしては、普段と違うことを言われてしまうので、恐らく本能的に反発があるんだと思うのです。齊藤さんがおっしゃったとおり、かぶれているんじゃな いよとか、うちはそういうこと要らないからという発言があって、ほぼ全員が反発されているんですね。

ただ、その人たちは達人なので、そうした反発や軋礫を乗り越えてこられている。反発されたらなぜ反発されたのかと振り返ることによって、反発されないような話し方に変える、反発されないようなタイミングで導入する、あるいは会社の中に越境の味方をつくって支持基盤を広げるなど、あの手この手のエ夫をすることで、その達人たちは最終的には、知恵と知恵をつなげるということができるようになっています。

石山恒貴氏

越境の効果

  1. シェアド・リーダーシップ(垂直型ではない)
  2. 多様性と曖昧さに慣れる(目標の抽象性)
  3. ゼロベースで実験を繰り返す、失敗を歓迎する(デザイン思考)
  4. 自分の暗黙の前提を常に見直す(メンバーと受け入れ環境の異質性、視野の拡大)

上下関係のなさ×異質性×抽象度

©石山

日本の企業内人材育成が見過ごしてきた点。越境学習で課題設定能力を高める。

――では主体的な学習を阻害する要因が多いということなのでしょうか。

齊藤弘通氏

欧米などでは成人が大学や大学院で学び直すことは一般的です。でも日本では社会人も含めて大学院で学び直す人は諸外国に比べても非常に少なく、高等教育機関における成人学習率が低い。

そもそも日本では大学院や大学にかかわらず、リカレント(循環)するという概念がないんですよね。ただ、日本の場合、主体的に学習するということ自体していないのかというと、実はみんなしていると思うのです。OJTのように職場の中でやるだけではなく、OJTに付帯して知らないことをいろいろ調べるなど、実はかなり自己啓発に近いようなかたちでやっています。しかし、それをみんな自己啓発と呼ばない。勉強しているのに勉強していないことになっているんです。学んでないわけでは決してないのですが、ただ、先ほどの話で言うと、ひとつの文脈の中での学びになるんです。つまり企業という、ひとつの文脈の中ですごく学んでいるのではないでしょうか。

石山恒貴氏
齊藤弘通氏

OJTに付帯した自己啓発の場合だと、「課題解決能カ」は高まるような気がするのですけど、そもそもの課題設定なり、問題発見といった部分が、OJTを中心としたものだとなかなか育たないのかなという気がします。

これは日本の企業内人材育成が見過ごしてきた点ではないでしょうか。多分この課題設定の能力開発というものが、企業内人材育成では、なかなか着手しなかった領域なのかなと思います。問題意識を醸成して課題を設定するという力を、どうやって身につけられるのか。そういう能力を身につける可能性のひとつに、越境学習的なものがあるのかなと考えます。

大げさに考えず、楽しいから、面白いから越境学習をやるという発想。

――確かに日本企業での教育のあり方は、概して問題意識を醸成して課題を設定するというものではなかったかもしれません。

あえて言うと、企業内人材育成の中では、そういう課題設定能力のようなものは、見過ごしてきたというよりも、むしろ身につけさせないようにしてきたという可能性もあります。みんなが課題設定と言い出したら上司は面倒くさくてしようがないわけですよね。上司の言うとおり、ただこれだけ解決しろという流れができて、それをOJTで学んだり、あるいはそこで怒られたりすることによって、学習性無力感のようなものが生じて、むしろ積極的に学ばせてこなかったことすら、あるかもしれません。

石山恒貴氏
齊藤弘通氏

そういう点で言うと、越境学習する人というのは、これまでの組織の価値観なり暗黙のルールなりを、ある種、相対化しようとする存在ではないかと見ることができます。

越境学習者というのは組織の側から見ると、おっしゃったように、疎ましい存在のように見える。だとすると、越境学習を組織が支援するということは、あり得ないのではないかという議論が成り立つのですけど、そこはどうお考えですか。

共同体になる集団というのは、自分のつくり上げてきたものを維持しようという力が働きますから、基本的には新しいものは拒否するという傾向があると思います。

例えば、越境しなくてもリーダーなりが、新しいことをしようとするときは、必ず反発が起きるわけで、いわば組織の宿命みたいなものなので、リーダーなり越境者が、反逆者的になって反発されるのは、むしろ必然の運命であると思います。でもだからこそ、それを変えたり、新しい実践を外から中に人れたりするということに、越境者やリーダーは面白みを感じるのであって、そこに妙味があるのではないでしょうか。

越境というものは、常にマイノリティーでやっていく感じなのでしょうか。

ユーリア・エンゲストロームという人は、越境の価値とは、既存の実践をまず拒否するところにあると言っていますので、そういうのがあってもいいじゃないかなと思いますけどね。

ただ、これが悩ましいところで、越境者は必然的に迫害されますとか、既存の実践を拒否する反逆者などというと、そんな大それたことはしたくないということで、みんな越境したくなくなっちゃうわけです。そんな大げさなことを考えなくていいから、単純に楽しいから越境してみればいいじゃないかとも思います。

なるほど。楽しいからやる。常々、何をきっかけにして越境し始めるのかというところに、私はすごく関心があるのです。

例えば、仕事で今のスキルではもう立ちいかなくなるからセミナーに参加するとか、大学院で学び直すということなのかもしれないし、自分の会社で思うようにいかなくて、違う居場所を探したい、見てみたいというケースもあるのかもしれないし、きっかけはさまざまかと思いますが、最初の一歩が、いったい何によって後押しされるのかというところに、すごく関心があります。

越境学習を規定する要因といったことも、もっと考えていくべきかなと考えているところです。

後編へつづく

このコラムの内容は「通信研修総合ガイド2020」に掲載されています。

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