【新井紀子氏 特別インタビュー】~AIの進化とともに生きる~いまこそ求められる「正しく読む技術」

【新井紀子氏 特別インタビュー】~AIの進化とともに生きる~いまこそ求められる「正しく読む技術」

人工知能(AI)プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」のディレクターを務める新井紀子(あらい・のりこ)氏は、人間がAIに代替される社会が到来するという予測を示し、AIを活用できる人材になるために「正しく読む技術」が必要と説いています。
いまビジネスの現場で何が起きているのか?
AIの進化とともに生きる私たちはどのような「学び」を求められているのか?
リスキリングについての考えなどを国立情報学研究所 社会共有知研究センター センター長・教授であり『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』の著者でもある新井 紀子氏に伺いました。

この記事は、通信研修総合ガイド2022特集ページ「リスキリング デジタル社会に挑む」の一部です。
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新井 紀子 氏

国立情報学研究所 社会共有知研究センター センター長・教授
一般社団法人 教育のための科学研究所 代表理事・所長

東京都出身。一橋大学法学部、米イリノイ大学数学科卒業。
イリノイ大院を経て、東京工業大学博士(理学)。
専門は数理論理学。2011年から人工知能(AI)プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」を主導。
16年からは読解力を診断する「リーディングスキルテスト」を開発。 研究者情報システムresearchmapの研究開発も担う。
『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』、『AIに負けない子どもを育てる』など著書多数。

ホワイトカラーの仕事の5割程はAIに代替される

――世界に先駆けて「AIに代替される社会の到来」について予測されました。ビジネスの現場はどのように変化すると考えられますか?

「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトでは、ビッグデータ上の統計と確率に依拠しているAI技術の、可能性と限界を明らかにしてきました。私が危惧しているのは、いま世の中にある仕事のうち「大体あっていると判断できれば問題ない」「量がたくさんある」「定型的である」「直感で正しいかどうか判断する」といった特徴を持つ仕事の多くはAIに取って代わられるということです。例えば日常会話の翻訳や定型的な記事の作成のほか、食品工場などで鶏肉の血合いを判断してピンポイントで取り除くといった作業はAIやロボットに置き換えられていくでしょう。少なくとも、翻訳であれば最初に機械翻訳にかけたものを人間がチェックし、おかしいと思う部分を修正すれば十分ということになるのは間違いありません。作業量の軽減により、現在のホワイトカラーの仕事のうち5割程度はAIやロボットに代替されていくと見ています。

新井紀子氏著『AI vs.教科書が読めない子どもたち』『AIに負けない子どもを育てる』(東洋経済新報社)はシリーズで40万部を突破したベストセラー。多くの仕事がAIに代替される時代を見据え、AIを活用できる人材になるためにはAIが苦手とする読解力こそ身につける必要があると説く。

AIを使いこなすにはAIより高い能力が必要

――AIによって仕事を奪われる側ではなく使いこなす側になり、テクノロジーと共存していくためはどのような力が必要でしょうか?

先日「山口とは友達だ。私は山口と岡山に行ったことがある」という日本語を自動翻訳サービスにかけて英訳したところ、
"Yamaguchi is a friend. I have been to Yamaguchi and Okayama."
という英文になりました。「山口とは友達だ」と言っているのですから「山口と一緒に岡山に行った」、つまり
"I have been to Okayama with Yamaguchi."
でなければおかしいですよね。ところが自動翻訳サービスでは「山口」を地名だと判断してしまっています。AIは、まだこの程度の文脈も読み取れないことがあるわけです。
このような例からは、「AIができないこと」をあげつらうのではなく、「AIは完全ではないけれど、そこそこの仕事はできる」という事実を知ることが大切です。AIによる仕事が正しいのか、間違えているのかの判断もできない人は、「そこそこの 仕事もできない」ということになり、AIの進化とともにふるい落とされていってしまうことになるでしょう。AIを使いこなすには、AIの誤りを判断できる力、AIよりも高い能力を持つことが必要なのです。

これは、銀行で融資の際に返済能力などの信用度を調査する与信審査のような仕事についても同様のことが言えます。特定の人に関する大量のデータを取得してそれらのデータから「住宅ローンの融資をしてよいかどうか」を決断する場合、半沢直樹さんという銀行員よりもAIのほうが平均的に精度が高いとしましょう。銀行としては、融資1件ずつの損得よりも融資全体の回収の期待値が高いほうがよいと考えれば、半沢直樹さんを雇用するよりもAIを活用すべきだという判断になるかもしれません。

半沢直樹さんがAIに代替されるのではなく、使いこなす側になるにはどうすればよいか。まずは、AIの仕組みを理解し、どういうところでAIが間違えやすいかを知る必要があります。実際、AIが与信審査を行うとなれば、AIのことを知り尽くした人がAIをだますための嘘の情報を出してきたときに「これはどこか変だ」と気づける人材が重要になってくるでしょう。AIの良さと同時にAIの間違いの特性も理解することで、AIを活用しつつ「真実を見極める力」を発揮することが求められるのです。

AIとの共存に必要なのは「汎用的読解力」

――具体的に、AIとの共存という観点でビジネスパーソンが求められるのはどのような力でしょうか。

代表的な例は「汎用的読解力」だと考えています。汎用的読解力とは、分野を問わず、また自分にとって親和性があるどうかとは無関係に、与えられた文章を基本的な構造に従って読み解く力のことを言います。
人間は、興味がなかったり親和性がなかったりする内容の文章を目にすると「とりあえず大体わかればいい」という気持ちになりがちなものです。嫌いな科目の受験勉強をしていたときのことを思い出していただければ想像しやすいと思いますが、興味のない内容に耐えながら文章を正確に読むというのは相当つらいものです。そのような状態でも「書かれているとおり正確に読み取ろう」と努力できることは、ホワイトカラーとして生き残るうえで重要な資質だと私は考えています。

基礎的な「読む」力を測るための1つの方法として、「東ロボくん」の開発から生まれた「リーディングスキルテスト(RST)」(*)があります。RSTでは、主語と述語の関係や修飾語と被修飾語の関係を理解する「係り受け解析」、指示代名詞が何を指すかを理解する「照応解決」、2つの異なる文章を読み比べて意味が同じであるかどうかを判定する「同義文判定」、文の構造を理解した上でさまざまな知識を総動員して文章の意味を理解する「推論」、文章と図形やグラフを比べて内容が一致しているかどうかを認識する「イメージ同定」、定義を読んで合致する具体例を認識する「具体例同定」で読解力を測定します(下の例題参照)。

リーディングスキルテスト 例題①
リーディングスキルテスト 例題②
(出所)『AIに負けない子どもを育てる』(東洋経済新報社)を基に作成

最近、自治体の採用試験でRSTが活用されるケースも増えているのですが、これは中央省庁と地方自治体の間で読み書きのスキルに差があり、例えばワクチンの接種に関して厚労省から届いた文書を市区町村の職員が誤読してしまって混乱が生じるといった問題も実際に起きているからです。
企業では健康診断のように定期的にRSTを実施しているケースもあります。そこで明らかになったのは、「若い人ほど読解力が低いのではないか」という見立ては正しくなく、どの世代の読解力が低いのかは会社によって違いがあるということです。一般に、採用時に売り手市場だったり、企業の採用力が弱かった時期に入社したりした人ほど読解力が低い傾向があります。若い世代ほど読解力が高いという会社も中にはありますが、これはその会社の近年の採用がうまくいっていることの現れではないかと見ています。

読解力をアップするには「苦手な文章を丁寧に読む」

――汎用的読解力を高めるにはどのような勉強法が有効でしょうか。

RSTの結果からは、読解力は小学生と中学生の時期に上昇し、高校生以上になるとあまり伸びないことがわかっています。これは、小中学生はまさに文章を読むスキルや語彙を獲得している最中であること、また教科書などで自分が知らない分野について文章を読む場面が多いことが理由ではないかと思います。高校入試が終わるころに読解力や語彙の伸びが止まるのは、自分が苦手な分野の文章を読む必要がなくなるからでしょう。例えば「数学は見るのも嫌だ」といった人は、科目の選択しだいで高校2年生以降は数学や理科に関する文章を読まなくても卒業することができます。大学も文系に進学すると、「5 〜6年も理系科目の文章をまともに読んでいない」ということになるわけです。

社会人になってから汎用的読解力を高めたいと思うのであれば、中学生の頃に苦手だと思った分野に立ち戻って「正しく読む」ことにチャレンジしてください。速読するのではなく、一字一句、精緻に読むのです。
苦手分野の教科書のほか、中央省庁の文書や確定申告など納税に関する書類など、読み飛ばすことができないもの、内容を正しく理解できないと自分が損するものなどを丁寧に読むのも有効だと思います。

こういった作業はおそらくとてもつらいと感じると思いますが、そのような読み方を続ければ、大人でも読解力は身につけられます。

読み書き力の不足が手戻りコストになる

——通信研修では文章力に関するコースが人気です。

実際、社会人でも「読めない、書けない」という人は少なくありません。ここでいう「書けない」というのは優れた文章表現の力がないという話ではなく、「見えているものや起きていることを正しく表現して伝えることができない」という問題です。たとえばエクセルを使っていてわからないことがあったとき、
「セルに数値データを入力し、メニューバーからオートフィルターを選択しましたがデータが昇順になりません。どこが間違えているか教えてください」
といった説明がでず、
「うまくいきません、どうすればいいですか」
で終わってしまう人がいます。

多くの経営者や人事部の方は、こういった従業員の読み書きの力の不足が手戻りコストになっているという認識をお持ちでしょう。テレワークの進んだ職場ではコミュニケーションエラーが生産性を大きく低下させる要因となっています。文章力という点では、挨拶文の書き方などではなく、正確に読み書きできる力を伸ばすための取り組みが求められているのではないかと思います。

産業能率大学総合研究所の文章力養成に関連する通信研修(例)

人材育成の取り組みにもサイエンスは必須

——ビジネスの現場ではデジタル化が進み、従業員に新たなスキルを獲得してもらう「リスキリング」が 注目されています。

多くの企業の人事部では、リスキリングに対する考え方がまだ十分に検討されていない印象です。リスキリングの必要性を認識していても、実際の取組みは「リスキリングのためのセミナーを受講してもらう」「学習のための補助金を出す」「満足度アンケートを取る」といったところで終わってしまっていないでしょうか。重要なのは、習得すべきスキルに対してセミナー等の効果があったのか、企業が求める能力の向上が実際に起きているのかという科学的な検証です。RSTを採用している企業でも、その結果から組織課題を見つけるところまでは至っていないケースが少なくありません。

人事部には従業員に関する大量のデータがあるはずですから、人材育成の効果と人事データを照らし合わせて課題を検出することもできるはずです。例えば「コミュニケーションが正しく行われることによって手戻りコストを少なくする」という具体的な目標を設定し、そのためにRSTなども活用いただきながら、どのような研修をどの層にどのように行うべきかを検討してみるのも一つのアイデアです。

大事なのは今いる人をどのように評価するかではなく、今いる人でどのように生産性を向上させるか、そのためにどんな工夫ができるかを考えることです。そして、そこにはサイエンスがなければなりません。

2017年にTEDで行った新井氏の講演は、23カ国語に翻訳され160万人以上が視聴した。

*「リーディングスキルテスト」とは

リーディングスキルテストは、国立情報学研究所を中心とした研究チームが、大学入試を突破する人工知能(AI)の研究を通して開発した、基礎的読解力を測定するためのテストです。 新井紀子氏が代表理事を務めている「教育のための科学研究所」Webサイトはこちら

■新井先生のリスキリングについて伺いました。

――法学部卒業後にイリノイ大学で数学を学んだという異色の経歴を持つ新井氏に、ご自身の「リスキリング体験」についても伺いました。

高校時代は数学が本当に苦手でした。自宅から自転車で通えるという理由で一橋大学を目指したものの、入試の二次試験に数学があったので、高校3年生のときは相当我慢して勉強した記憶があります。

数学は主に通信教育で勉強しました。通信教育は対面の講義のようにその場のやりとりで終わることがなく、生徒と講師がお互いに文章に落とし込むので、学んだことが身につきやすいと思います。添削が戻ってくるのにタイムラグがあるのもいいところで、時間が経つことで自分の書いた答案も客観的にチェックができるんです。戻ってきた添削を読んで過去の自分に向き合うことで、最短でスキルを伸ばせます。

それでやっと大学に入って「もうこれで数学を勉強しなくていいんだ!」と思ったのに、必修科目に数学が2科目もあったんです。仕方なく数学を履修したのですが、そこで「一橋の学生の中では自分は数学ができるほうだ」ということに気づいて、いわゆる「ギャップ萌え」で乗り越えられた記憶があります。

もちろん数学の勉強は大変でしたが、苦手なものを学んで新たなスキルを身につけるのは、筋肉がないのにボルダリングで壁を登れと言われているようなもの。つらいのが普通なのです。これからリスキリングをしようという人もつらさを感じるでしょう。その際、汎用的読解力を身につけるのは、筋トレに例えられます。壁を見て「無理だ」と感じても、トレーニングをして筋力をつけ、スキルを学んでいくことが、いずれ登れるようになるための道につながります。

(2021年8月17日オンラインにて取材)

リーディングスキルテスト例題の解答

  • ① D
  • ② B
  • ③ B
  • ④ A
  • ⑤ C
  • ⑥ A

この記事は、通信研修総合ガイド2022特集ページ「リスキリング デジタル社会に挑む」の一部です。
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