日本のグローバル化を考える(4) ~教育のグローバル化へ~

教育のグローバル化へ

最後となる今回は、日本における教育のグローバル化についてお話しします。
文部科学省は2014年9月に、大学の国際競争力を高めるために「スーパーグローバル大学」として国内37の大学を選定したと発表しました。これらの大学は、2023年までの10年間に多額の補助金が支給され、大学の国際化を促進し、グローバル人材の育成を急ぐことになります。選定された大学のうち、海外から優秀な教員を獲得して世界大学ランキング100位以内を目指す「トップ型」は、東京大学をはじめとした13大学です。一方、大学教育の国際化のモデルとなる「グローバル化けん引型」には、千葉大をはじめとした24大学が選ばれており、補助金の使途は外国人教員の人件費や海外の大学との連携に必要な経費などに限定されています。

さらに文科省は、現在の大学入試センター試験に代わって「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」を、2020年度から導入する方針を示しています。学力評価テストでは、英検やTOEFL、TOEICなどの民間の英語資格試験が利用されるようで、学力評価テストに合わせて各大学での入試改革も進んでいます。 また、小・中学校から高等学校までの児童・生徒に対するグローバル教育に関連しても、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを見据えて、以下のような文科省からの方針が出されています。
小学校から大学までの教育において一貫したグローバル化を推進するには、教育する側の教員の確保が大きな課題となるのは言うまでもありません。既に述べたグローバル化けん引型に選定された大学が作成した構想調書では、「教員に占める外国人及び外国の大学で学位を取得した専任教員等の割合」が、平均して45%になっています。しかし、この数字に対しては次のような疑問があります。 すなわち、文科省の「学校教員統計調査」によると、全国の大学の専任教員のうち外国人は3.8%、日本人も外国人も含め外国で学位を取った専任教員は4.6%にすぎません。それゆえに、グローバル化けん引型に選定された大学と言えども、構想調書で示された45%という数字は、先の数字4.6%と比較しても大きすぎるのです。実は、上記の「外国の大学で学位を取得した専任教員等」には、外国で学位を取得していないが、外国で通算1年以上3年未満の教育研究歴のある日本人教員のカテゴリー、と外国で通算3年以上の教育研究歴のある日本人教員のカテゴリー、も含まれています。大学の現状では、外国で1年以上3年未満の教育研究歴をもつ教員カテゴリーの比率がもっとも高いことから、将来においても同様の比率が継続されることが予想されます。それゆえ、これが真のグローバル化の推進と言えるのだろうか、という疑問がうかぶのです。
小学校におけるグローバル化の指導体制の強化においても、高度な英語指導力を備えた専科教員の確保が急務とされています。また、中・高等学校においても、教員の指導力・英語力を向上させることが求められているのが実情です。文科省が補助金を付けたからといって、今後必要とされるグローバル化を担う日本人教員をすぐに養成できるわけでもありません。では、具体的にはどのような解決策が考えられるのでしょうか。

少し歴史を振り返ってみましょう。徳川幕府から明治政府へと政治体制が変わった時代には、富国強兵を推し進めるために明治政府は多くの外国人を日本に招き、知識と技術を短期間に手に入れることに成功しました。第2次世界大戦に敗戦した直後はアメリカからさまざまな知識と技術を導入して、現在の日本のさまざまな産業が成長した経緯があります。1990年代半ばから現在に至るまで、韓国の自動車メーカーや電機メーカーは日本人技術者を大量に採用しています。2000年以降の中国は、優遇税制によって外国資本を数多く受け入れて、最先端技術の製造や開発現場を中国国内に招くことによって、知識と技術を自分たちのものにしようと戦略的に動いています。
一方、日本は戦後の経済発展に成功したこともあってか、他の国々からの支援をあまり受け入れていないように思われます。それゆえに、教育の早急なグローバル化を確実なものとするには、日常的に英語を話して生活している外国人の支援に期待したいと考えます。
日本では移民受け入れに反対の意見が根強いのは十分に承知していますが、教育のグローバル化という大きな政策転換の時代だからこそ、視点を変えてみる必要性を感じます。外国人教員たちの中長期間の日本滞在の後に、帰国するなり日本に永住するなどの選択ができるような制度が確立できれば、高等教育を受けた英語を話す人々を積極的に日本に誘致することは可能なのではないでしょうか。

安倍政権下で高度人材に対する「世界最短」での永住権付与の制度が進められていますが、必要とされる上記のような教員たちの多くは、「高度人材」に該当しない人たちだということに、改めて気付く必要がありそうです。