韓国企業と日本企業との差(1) 近くて遠い国

近くて遠い国

近くて遠い国と形容されることの多い、お隣韓国。その韓国の企業や経営者の方々と足掛け10年近くコンサルタントとして関わらせていただきました。その経験から、韓国と日本の企業文化の違いなどについてお伝えしたいと思います。

私と韓国との出会いは、今から約30年ほど前にさかのぼります。当時の韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な経済復興を成し遂げ、1988年にはソウル五輪を成功させるなど、経済発展の真っ只中にあり、国中が凄まじい熱気に包まれていました。そして、官民をあげて日本をキャッチアップすべく、日本への視察団を多数送り出していました。そうした視察団の一つに、日本の小売業、商業施設を視察するというものがあり、私はその視察団の日本側のコーディーネーターを任されていました。視察先の選定や折衝はもちろんのこと、日本の流通業界の現状や最新動向の資料作成、そして当日の講義まで一人で何役もこなさなければならず、大変な激務だったことは今でも鮮明に覚えています。せっかく日本に来るからには一刻も無駄にしたくないという気持ちの現れなのでしょう、会議室を借りての事前講義の予定が視察先への移動のバス車中に変更になったり、急遽視察先が追加されたりするなど参加者の熱意というか気迫すら感じさせられる場面が多々あり、私には一時も気が抜けない緊張感がありました。

しかし、そうした激務であったにもかかわらず、当時も今も自分にとって貴重な体験ができたと思えるのは、参加された韓国の皆さんとのさまざまな交流があったからに他なりません。

当時の私の韓国のイメージは、とにかく対日感情が良くない国というものでした。実際30年前ということは、今よりも戦争体験者の方が多く存命しており、記憶も新しいわけです。また視察団には日本語を話せる方も複数いるという情報もありました。視察団の受け入れにあたり、私は過去の侵略の歴史について責められたら、どのように返答すべきか?など、いくつかの想定問答を作成し、視察団の到着を待ったのでした。

しかし、いざ到着し視察が始まっても、そのような話は一切出てきません。ほっとすると同時に少々拍子抜けという感じすらありました。テレビで観るデモ行進や日の丸に火をつけるような過激な印象は微塵もありません。それどころか、流暢な日本語で話しかけて来た年配の参加者に思わず「日本語お上手ですね。」と言ってしまい、気まずそうにする私に対して、「小さい頃たくさん勉強しましたから」と笑顔で答えていただくこともありました。

また、視察団は基本的に夜は自由行動なのですが、1週間ほどの滞在期間中、ほぼ毎晩どなたかに夕食を誘っていただき、ご一緒させていただきました。
共通の言語はお互いにカタコトの英語です。そして漢字による筆談。韓国といえばハングル文字の印象も強いかもしれませんが、元々は漢字文化の国です。ですから結構漢字でも意味は通じました。外見は明らかに東洋人の数人が、英語、韓国語、日本語、そして筆談をごちゃ混ぜにしながらコミュニケーションしている姿は、傍目には奇異に感じられたかもしれません。しかし、私にとってこのときの経験が、非常に大きな意識の転換点になったのも事実です。

もともと私は英語がそれほど得意ではなかったため、以前は自分から積極的に外国人とコミュニケーションを取ろうとはしませんでした。しかし、この経験をきっかけに「意外とカタコトの言語(英語以外も含めて)でも意思は通じ合えるものなのだ」という自信を持つことができたのです。もちろん込み入ったビジネスの話しは難しいでしょう。しかしお互いのことを知ったり、楽しく会話したりするくらいのことは決して難しいことではないことに気づいたのです。 また歴史問題や領土問題など、国と国ではいろいろな問題を抱えていたとしても、個人と個人で向き合えば、そうした問題も乗り越えて交流を深めることができるのだということも分かりました。
結局この視察団の滞在中、メンバーの皆さんは、私に対して常に優しくそしてフレンドリーに接していただき、私の想定問答集が日の目をみることはありませんでした。もちろんその程度のことで、過去の歴史に対するわだかまりが消えたなどと軽く捉えているわけではありません。しかし、私の中で異文化の理解を深める第一歩となったのは事実でした。

そして幸いにして、この視察団が成功裏に終わったことで、その後、視察団は何回も繰り返し実施され、その都度、私がコーディネーターを担当することになります。この視察団の団長を務めていた朴さんとの出会いが、その後、私が韓国の企業と長く付き合っていくきっかけになるのでした。