日本企業は真のグローバル企業になれるか。なるべきか。 ― "真のグローバル企業"の姿 ­―【第1回】

私のグローバルマネジメント奮闘歴

私のキャリアは1983年に広告会社からスタートしました。海外出張の機会といえば広告制作のためのロケ出張が数年に1回程度の典型的なローカル企業でした。

30歳代後半に想像もしていなかった大事件が起きます。
「黒船来襲!」世界の広告業界で起こり始めた企業統合の波が日本に押し寄せ、自社が米国大資本の企業グループに統合されることになります。
当時、私は経営企画室におりましたので、統合推進の中核メンバーに任命されることになります。ローカルの会社が外資系企業へと変革していく際に発生する人事やオペレーションなど経営システムの問題、そして日本人が意識変革を迫られる際に起こる執拗な情念と抵抗に苦悩したことを覚えています。
先輩社員たちに「今日から外資系企業として日本の広告業界をリードしていくことが、我が社の存在意義です!」と変革を迫るきつい役割でしたから、「外国人に魂を売った裏切り者」と疎んじられても仕方ないと覚悟を決めて立ち向かいました。
数年間でCI変更など体裁を外資系にシフトすることはできましたが、社員の意識を変えるのは易くなく、「うちは、“なんちゃって外資系”で、今までと変わらす外見も魂も日本人です。ご安心ください。」と得意先に説明をする社員が多くおりました。

“なんちゃって外資系”とは、資本がグローバル化した統合段階をうまく言い当てていると感心して聞いていました。私は大学でアメリカ経営学を研究していましたので、プロジェクトを通じて米国流の合理的な組織運営の価値観が肌に合っていることを再認識できたのです。そして、このことが米国本社の外資系コンサルティングファームに転職するきっかけとなりました。
その後にいくつかのグローバルコンサルティング企業の日本法人社長を歴任する中で、“真のグローバル企業”と“なんちゃって外資系企業”の根本的な違いを身をもって理解することができました。

本稿では私の経験から“真のグローバル企業”の姿を紹介するとともに、グローバルマーケティングマネジメントに関するコンサルタント業務において、日々感じている日本企業のグローバル化に対する疑問や不安について、率直な意見を書かせていただきます。
日本企業のグローバル化は多国籍化段階。“真のグローバル企業”の姿は?

日本企業の多くが次期経営戦略の中で海外売上高50%以上を早期に達成するというビジョンを掲げており、「真のグローバル化」を標榜しています。
例えば、世界的にさまざまなテーマによるグローバル企業ランキングが発表される際には、その対象は「本社所在国以外の売上高が全売上高の51%以上の企業」と定義されています。
日本を代表する大規模企業ほど国内市場を主戦場として事業展開してきた経緯から、海外売上比率は10~30%程度なのでグローバル企業と言えるレベルにはありません。現状は、「事業の多国籍化レベル」に留まっています。

私は、海外売上高40%のラインが「真のグローバル企業」への節目と考えています。40%未満の多国籍化段階では、本社とローカルの関係は1対1で互いの主張の交渉事がやりとりの中心です。言語は日本語か現地語のいずれか、通訳を介しても成り立ちます。
40%を超えるとリージョナル本社が設置され、ローカル支社を統括するようになります。この時点から言語は3つ以上となり、共通言語は自然と英語になります。
ただし、依然として本社とリージョナル本社間の主要なやりとりは、権限と責任を如何に配分するかの交渉事です。

「真のグローバル企業」の姿はさらに階段を登った所にあります。経営基幹システムや人事制度がグローバルに統一され、ネットワーク型の組織へと進化していき、リージョナル本社の役割が弱くなり、やがて廃止されます。本社の所在国や経営者の国籍さえも意味がなくなります。
本社主導ではなく、世界中のどこからでもイノベーションを創造することができる協働体制が企業価値となり、多国籍の専門家が集まるチームの創造力がそれを支えます。これが「真のグローバル企業」と表現すると大げさですが、「普通にグローバルな企業」の姿です。
海外売上高の数値が条件ではなく、人事など経営システムにおいて国籍を意識しなくなる、という環境条件が伴います。この観点からは日本企業が標榜している「真のグローバル化」は的を外していると感じてしまいます。

次回は、何が日本企業のグローバル化の障壁となっているのか、私の企業コンサルタント経験からの知見を述べさせていただきます。

産業能率大学 経営学部 教授 小々馬 敦