インタビュー特集:【企業事例】伊藤忠商事株式会社 垣見俊之氏 働き方改革は生き方改革。生産性を高めるために必要なのは意識を変えること 


夜型勤務が当然とされてきた総合商社の世界にあって、真に生産性を高めるために、より合理的、より効率的な働き方の施策を次々に打ち出してきた伊藤忠商事。 20時以降の残業を原則禁止し、5時~8時までの早朝勤務には割増賃金を支給するとともに無料で軽食を提供する朝型勤務制度の導入は、業界を問わず日本企業の「働き方」そのものに大きなインパクトを与えた。 「働き方改革とは生き方改革でもある」と話す同社の垣見氏に、こうした先進的な改革に至るまでの背景や今後の課題などについてお話をうかがった。

伊藤忠商事株式会社 概要

伊藤忠商事は、近江商人の初代伊藤忠兵衛が麻布の行商を開始した1858(安政5)年に創業の大手総合商社。初代伊藤忠兵衛をはじめとする近江商人の経営哲学である「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」の精神を、「伊藤忠流」のサステナビリティとして今に引き継ぎ、個人と社会、そして未来へ「豊かさを担う責任」を企業理念として掲げる。

垣見 俊之氏


伊藤忠商事株式会社
人事・総務部長


この記事は、通信研修総合ガイド2019特集ページ「人生100年。いかに学ぶか。」の一部です。
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少人数でいかに生産性を高め、成果を上げるか。その問題意識から制度改革が始まった。

―― 伊藤忠商事は、働き方改革の一環として朝型勤務へのシフトなど、さまざまな施策を打ち出しておられます。非常にユニークに思えるこうした取り組みにはどのようなお考えがあるのでしょうか。


商社は海外駐在が当たり前の勤務形態ではありますが、弊社は、他の大手総合商社と比較すると3割ほど少ない人員で業務を進めています。そのため、社員に対する育成プログラムの充実はもちろんのこと、若いうちから幅広い領域の仕事を権限を伴った形で任せることによって、グローバルで戦えるプロの育成を人材教育のコアに据えてきました。言い換えると、「働き方」という観点では、いかに限られた時間で効率良く高い成果を出すかという事に注力しています。

昨今の働き方改革は“生産性を上げるための取り組みの1丁目1番地”と言われています。弊社ではそういった人員的な背景もあり、かなり以前から「事業戦略と人材戦略は経営戦略の両輪」と位置づけ、さまざまな取り組みを続けてきました。私たちはものづくりの会社ではありませんから、「人」こそが最も重要な経営資源です。少人数で高い成果を上げること、つまり一人ひとりの生産性を上げるためには、言うまでもなく一人ひとりの能力を上げることが不可欠です。そして向上させた個々の能力をいかんなく発揮するためには、そもそも心身共に健康な状態でなければいけません。つまり、高いパフォーマンスを発揮するためには十分な「健康力」を身につけていることが重要なのです。加えて会社に貢献しようというエンゲージメントを高く持つこと、これも非常に大切なことです。これら3つが揃い、相互に関係しあって初めて生産性の向上につながると考えています。この生産性方程式に従って進めた人材戦略の一つが、朝型勤務へのシフトです。弊社の取り組みの一つひとつに、「限られた人材で最高のパフォーマンスを出す」という考え方がバックグラウンドにあります。

制度改革は意識改革。意識改革は、すなわち“生き方改革”。

―― 商社というと夜型で遅くまで働くというイメージがありますが、それを朝型に変えるということに迷いや恐れはありませんでしたか。また推進できた理由はどこにあるとお考えですか。


たしかに商社といえば365日24時間どこでも働くというイメージがありますよね。私自身も、そういう意識で働いてきた世代です。
朝型勤務制度は、20時以降の残業を原則禁止、22時以降は禁止としています。一方で、午前8時前に出社する社員には深夜勤務同様の割増賃金を支払い、社員の健康にも気遣って軽食も無料で提供するなど、夜型の働き方から朝型勤務へシフトさせるために2013年から導入した制度です。商社ですので世界各国との取引には時差もあり、緊急の対応も必要な場合がありますから、必ず一律に20時に退社せよというのは現実的ではありません。そこで、20時以降の残業は事前承認を必須としています。ただ、こうした残業が必要な事態は、そう毎日あるわけではなく、ふだんから時間を意識し、どうやって効率的に仕事を進めるかを考えることによって、ある程度コントロールできるものです。
また、朝型勤務と並行して推進した「110運動」というのは、夜の飲み会を、「『1』次会のみ、夜『10』時までとする」施策です。以前は深夜まで飲むことは当たり前、翌朝二日酔いで10時にようやく出社ということも常態化していました。しかし、お客様からお問い合わせをいただいても「担当者はまだ来ていません」では、お客様視点が第一である商社パーソンとして商売以前の話です。「110運動」は、最高のパフォーマンスを出すために「翌朝の勤務に備えましょう」という、これも意識改革の一つとして捉えています。
限られた時間の中で成果を上げるためには、これまでの考え方や姿勢を変えることが不可欠です。弊社は2003年からダイバーシティへの取り組みも進めており、その中で実感してきたのは、子育てや介護といった時間に制約のある社員の仕事の進め方には無駄がないということです。限られた時間でいかに成果を出すかという意識を持っていると仕事への取り組み方も違ってくると考えています。この意識の部分にメスを入れないと、どんな施策を打ち出しても働き方のカルチャーは変わらないなということに気がつきました。

このことからも、働き方改革は意識改革だと思っています。効率的な働き方のための意識改革を進めることは、結果的にそれは仕事だけでなく、当然個々のプライベートともリンクして変化していきます。つまり、働き方改革は“生き方改革”です。社員一人ひとりが、業務以外の時間の使い方にも意識を持つことが、「効率的に働く」ということにつながっていくものと考えています。

制度を変えるだけでなく、変えた制度を定着させるまでが人事の仕事。

―― 正式に新しい制度がスタートしても、それが軌道に乗るまでには大変なご苦労があったのではないでしょうか。


社員の意識を変えていくわけですから、現場からの抵抗や反発は相当ありました。朝型勤務制度導入を図った当時は「人事は現場を全く分かっていない」、先ほどの時差の問題を含めて「対応が遅れたら、人事が責任を取ってくれるのか」という批判が相次ぎました。
 それでも、当時社長であった岡藤(現会長)からは「伊藤忠が世界で戦っていくために絶対に手をつけなくてはならない。ひるむ必要はない。社員にとっても会社にとっても良いことをやるわけで、スピード感を持ってやるように」と全くぶれませんでした。

就業規則の一部見直しを伴う重要な施策ゆえ、労働組合の合意が必要となりますが、実施までの準備期間は2か月しかありませんでした。その間、労働組合に対し、①今回の施策はトライアルで行い、結果はすべて組合にフィードバックすること。②全社員向け説明会を徹底的に行うこと。③残業そのものを禁止するのではなく、夜の残業を減らし翌朝早く出社した分については割増賃金を支払うことや軽食も無料で提供すること。この3つを説明し、ようやく実施にこぎつけました。
スタート前は非難囂々だった制度でしたが、いざ始まってみると「朝早く出社して、軽食も無料で食べられるし、すっきりした頭で仕事もできる。」となかなか好評でした。それまで制度に批判的だった部長からも「例の朝型勤務、やってみると意外にいいな」と声をかけられたときは、導入までに苦労した分、さすがに嬉しかったですね。

ただ、制度というのは運用がすべてです。制度をつくることよりもつくった後が本番で、それが趣旨通りに運用され定着するまでが人事の仕事です。実際、この朝型勤務制度を導入した際も、残業している社員がいないか、人事の課長クラスが夜8時に各フロアを見回るという作業が3か月間続きました。大変な作業でしたが、それを毎晩やり続けたことは制度の定着化に大変有効だったと思います。その結果、半年間のトライアルで明確に効果も現れたことから、その後の正式導入につながりました。導入後、岡藤からは「ここからが勝負だ。尻すぼみしないように更なる深化した取り組みを」と言われ、軽食に特別メニューを導入するほか、月1回の朝活セミナー、中国語カフェなどさまざまな工夫で制度の定着化を図りつつ、今でも新しい企画を取り入れています。
「朝活セミナー」茂木健一郎氏を講師に迎えて
朝型勤務制度による軽食の無料提供
「脱スーツ・デー」推進ポスター
「脱スーツ・デー」コーディネイト相談会の様子

事務職の意識改革なくして 全社的な生産性の向上はない。

―― 意識改革というものを総合職の社員だけでなく事務職の社員にも徹底しようとされているのはなぜですか。


伊藤忠は少数精鋭であるがゆえに以前から人材育成に力を入れてきたと申し上げましたが、実のところ事務職に対する研修はあまり積極的に行われていませんでした。しかし、全社員4300人のうち事務職700人の意識を変えることなくして真の生産性向上を推し進めることはできません。
今までの事務職のベテラン社員は、職場においてハブ的役割を担っているという自覚があまりなかった状態でした。そこで、3年前に制度を見直すと同時に、名実ともに事務実務のリーダーとしていかんなく能力を発揮できるよう、貴学と共に1年間に渡る意識改革プログラムを開発しました。1年間人総部付きの辞令を出し、全社課題への提言策定や後輩事務職のメンター役を担うなど実務と連動したプログラムも組み入れました。事務職としての意識の持ち方、パフォーマンスの発揮、周囲との関わり方等、さまざまな面からアプローチした事務職ワークショップです。総合商社の中でも、事務職に対してこのようなプログラムを提供しているのは珍しいと思います。研修スタート時は消極的だった事務職も、「1年間の研修は大変だったけれど、受講できて本当によかった」「入社以来、初めて全社的な課題解決に貢献することができた」と非常に好評です。

 「人材育成」で人総部ができることは、人が育つ環境をつくる、つまり文化をつくることだと思っています。その環境を構成する要素は何かと言えば、「ビジョン」「一人ひとりの意識」「業務プロセス」「組織」「評価・報酬」です。それぞれの要素が機能しあってはじめて、人が育つ環境が整う、つまり文化が育まれると思っています。
 弊社は、中期経営計画の中で、第4次産業革命における次世代ビジネスをつくる、イノベーションを起こすということを掲げています。イノベーションが繰り返し起こる企業というのは、この文化が基盤としてある企業なのではないでしょうか。「文化づくり」こそ、まさに人総部の腕の見せどころだと感じています。

人生100年。 自らが考えてつくる キャリアオーナーシップが求められる。

―― 垣見さんは経済産業省の「我が国産業における人材力強化に向けた研究会」にも委員として参画されていますが、人生100年時代に求められる人材像とは、どのようなものとお考えでしょうか。また、個人と組織はどういう関係になっていくと予想されますか。


ビジネスだけでなく社会全般がダイバーシティ化してくると、さまざまなスキルや能力が必要とされますが、最後は適応力がますます重要になってくると考えています。世の中のさまざまな動きに対して敏感に反応し適応する力が、企業にも個人にも求められてくるでしょう。

 私は、日本企業、あるいは日本の弱いところは人材流動性がないことだと思っています。この流動性を高めていくことは、一企業で行うには限界があるため、国を挙げて取り組むべきことだと感じています。同時に日本企業が手を付けるべきことは、チャレンジを奨励する加点主義にしていくことです。右肩上がりの終身雇用をベースとした雇用慣行では減点主義が人事管理上一定の機能を果たしてきた面は否めませんが、人を活かすには加点主義が必須です。減点評価されてまで危険をおかしチャレンジする人はいません。それが個人の能力発揮の妨げになっていることは明白です。企業の人事制度においてもチャレンジングを担保していく必要があるでしょう。そうした企業のスタンスが人材の流動化にもつながり、日本企業がグローバルで活躍する推進力にもなっていくと思います。

 研究会でも議論したことですが、人生100年ということは、それまで身につけた技術やスキルはどんどん陳腐化するので、常に学び続けられる人材が求められます。海外では、いつ状況が変わって解雇されてしまうか分からない緊張感が常にありますから、スキルを身につけるために自費で勉強をすることは当たり前という考えが一般的です。自分の能力を高めている人材とそれを受け入れる企業の考えがマッチして良い循環を創出しています。対して、日本は企業がスクールや研修などの費用を負担しています。これは大きな違いです。必要とされる人材は、受け身の状況を変え、自身の意志で学び続ける人でしょう。そして、人生100年のキャリアを自らが考えてつくっていく、キャリアオーナーシップを持てる人です。

 これからの時代、ますます個人と企業の関係は対等となっていくでしょう。企業の生産性や競争力を向上させるには、社員一人ひとりの会社に貢献したいというモチベーションが必要です。そのモチベーションは仕事を通じて自身の成長ややりがいを実感できれば生まれてくるものです。貢献した社員に企業は応えようとし、社員はそこに新たなエンゲージメントを感じる。そうやってお互いがリスペクトし合い成長できる対等な関係が進んでいくと思います。
伊藤忠商事株式会社 本社にて

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