同志社大学政策学部教授:太田 肇氏


個人と組織の関係を考えるとき、個人の存在は経営資源の一部、つまり人的資源として語られることがほとんどであった。 しかし、人生100年時代を見すえたとき、個人の働き方は多様化し、組織の求心力が失われつつある。
だからこそ個人の成長を支える組織のあり方が今問われている。
長年にわたって個人尊重の組織論を研究されてきた同志社大学の太田氏に、ポスト工業社会における企業のあり方、マネジメントのあり方、そして働き方について、お話をうかがった。

同志社大学政策学部教授/大学院総合政策科学研究科教授/経済学博士
太田 肇(おおた・はじめ)

1954年兵庫県生まれ。同志社大学政策学部教授。神戸大学大学院経営学研究科修了。京都大学経済学博士。
専門は個人を尊重する組織の研究。おもな著書に『公務員革命』『ホンネで動かす組織論』『ムダな仕事が多い職場』(以上:ちくま新書)、『がんばると迷惑な人』『個人を幸福にしない日本の組織』(以上:新潮新書)、『ベンチャー企業の「仕事」』(中公新書)、『知識ゼロからのモチベーションアップ法』(幻冬舎)、『組織を強くする人材活用戦略』(日経文庫)など多数。近著には『「ネコ型」人間の時代』(平凡社新書)がある。講演やメディアを通じての発言も積極的に行っている。

新たな時代に即した企業のあり方が 働く人のアグレッシブさを生み出す。

―― かつて強みであった日本的集団主義が、いまや成長の妨げになっているというようなご指摘を早い時期からされていますが、現在ではどうお考えですか。


中国の人は以前からよく『中国人は個人では龍だが集団では虫になる。日本人は個人では虫だが集団では龍になる』と言います。しかし、私の印象としては、むしろ日本人は個人としては強いが、チームや組織になると弱くなると感じています。組織や集団に個人がなびき、単純に長いものには巻かれるという考えで、決して個人の本当の力を引き出すシステムではなかったと考えます。工業社会時代はそのような堅牢な組織のあり方を掲げた企業が成果を上げてきました。しかし、ポスト工業社会の今日では、個人の力を最大限引き出すための組織のあり方や柔軟な働き方を構築できる企業こそが力を発揮します。例を挙げると、いまの中国やアメリカのシリコンバレーです。中国の人に会ってみると実にアグレッシブで、それはみせかけではなく、本当に内側から出てきているものです。日本だと自営業者が持つようなアグレッシブさを中国ではビジネスパーソンであっても持っていて、それだけ個人のモチベーションを高めるようなシステムを多くの中国企業が持っているということです。ポスト工業社会に即した組織のあり方へシフトできているかどうか、この差が他国と日本の成果の差に映し出されているのではないでしょうか。
私が個人の視点から組織を研究しようと決心した原点は、コーンハウザーの『産業における科学技術者』(1964年)という本との出会いでした。そこには「科学者や技術者は、ホワイトカラーやマネジャーと違って完全に組織に溶け込むことができないし、溶け込んではならない。しかし、同時にそういう人たちがいないと組織は成り立たない」という一種の矛盾のような議論が記されていました。こういう人たちは、自立しており、組織に対して無批判に従うことはありません。しかし、組織にも社会にも必要な人材です。こういった人材をいかに活用していくかがもっとも大事なテーマではないかと考えはじめ、現在でも、これからの組織のあり方を解いていく鍵がそこにあると私は信じています。
同志社大学 今出川キャンパス

日本企業が掲げる「求める人材像」には、必ずといっていいほど、「自律型人材」が挙げられていますが、自律的な行動を促す意味で使われている「自律」では、世界の競合とは戦えないでしょう。 今、求められているのは、独立自営業者のような気概と科学者や技術者のような自発性と自己責任を持つ真に 「自立」した人材だと思います。

成果を上げることができれば、 働き方は問わない。そんな組織が求められている。

―― では、本当の意味での自立型社員を育て、世界に伍していくための組織というのは、どうあるべきなのでしょうか。


私は組織というのは場だと考えます。インフラと言ってもいいでしょう。問題はそのインフラの中身です。昔であれば機械や設備といったハード面が重要視されていましたが、いまは、情報や人的なネットワークといったソフト面のウェイトにより重きが置かれるようになってきています。
制度面で言うと、企業は個人に対して選択肢をなるべく多くつくり、社員がその中から自身の判断で選び取ることができるようにする制度づくりが短期的には有効だと思います。長期的には、社員の働きに関して余分な干渉は一切しないという姿勢が望ましいと思います。
短期的視点で選択肢を増やすということは、いま現実に進みつつあります。職種別採用や短時間勤務社員、地域限定社員などがその例です。もっと広くとらえれば、非正規の働き方が増えているのもその流れと言えます。時代をさかのぼると、これまでコース別総合職や一般職などもありましたが、これはやはり過渡期の施策にすぎません。この一連の流れを多様化と言う人もいますが、本当の多様化とは、コースで分けるなどの条件設定を一切必要としない状態であって、どんな立場、どんな人でも同じような条件で働けることが本当のダイバーシティ&インクルージョンだと私は考えています。
長期的視点で干渉をなくすというのは、極端に言えば、成果さえ上げられるならば、働き方や働く場所など企業は関与せず、個人に一任するというものです。こうした自立型社員を育てるための条件として、長期雇用を前提にしないことも重要なファクターです。
一つ例を挙げると、静岡にある江崎新聞店の事例があります。100年ほどの歴史を持つ新聞配達の会社ですが、社員が平均2年ほどで辞める傾向がありました。そこで、「どうせ2年で辞めるのなら、3年を区切りにして働いてもらうようにしよう」と、3年で社員が独立できるような制度を導入したところ、辞める社員が激減し、それまで8割だった離職率が1割以下になったそうです。実際に私も取材に行き、社員に話を聞いてみましたが「3年という区切りがあるので頑張ることができた。もしこれが定年までずっと働くことが前提だったら辞めていたかもしれない」と口々に語っていました。以前ならば、雇用を保障してくれる終身雇用が安心感となっていたものが、いまはむしろ会社に縛られることが負担に感じ、前向きな意欲を阻害しているということだと考えます。

これからの マネジメントのあり方。

―― 長期雇用を前提としない働き方が主流となったとき、組織のマネジメントや評価はどう変わっていくのでしょうか。


まず第一に組織が取り組まなくてはいけないことは、個人の行動と機能を区分するために「分化」を進めることです。「分化」とは、組織から個人を物理的、制度的、認識的に分けることを意味しています。いままでの長期雇用を前提とした企業では、組織と個人の行動は一体化していて未分化の状態です。個人は職業生活すべてが評価につながっていると感じ、いつ、どこで、何をチェックされているか分からないため、過度に評価者を意識したり、上司の顔色をうかがったりした行動をとりがちです。
この上司というのがネックで、日本の場合、上司は偉いという考えに支配されています。しかし、こうした人格的なものを反映させた上下関係は捨てるべきです。年齢や社歴、性別などはまったく関係なく、上司というのは役割として管理職についている人と割り切ることが必要です。
一方、分化が進み、長期雇用を前提としない企業では、個人の役割や分担を明確にし、権限と責任を与え一任したあとは、組織内でその役割を果たし、貢献している限りはどんな行動をしてもかまわないというスタンスです。すると個人は、高いモチベーションを持ち、仕事の成果を上げることに集中できます。創意工夫の幅が広がれば内発的モチベーションも高まり、それによってさらに成果が伴い、高い評価が与えられれば外発的モチベーションも上がるという、好循環が生み出されます。
マネジメントについても、この分化が非常に大事なところで、未分化の企業は、個人の態度や行動のレベル、私はこれを川上と呼んでいますが、川上でプロセスを見ます。
川上でマネジメントをしていくと、そのうち「態度が悪いのは、本人の性格の問題だ」「人生観や思想に問題がある」などとまったく成果との因果関係がないようなことにまで干渉するようになり、個人の意欲や能力を引き出すどころか潰してしまう恐れすらあります。分化された企業では、川下の部分、純粋に仕事の成果や果たすべき役割に対してどういうプロセスを経ているかということを見ます。例えばどこまで交渉が進んでいるか、開発はどこまで進んでいるか、という成果につながるプロセスを見るということです。
評価については、育成のための評価と処遇のための評価をはっきりと切り離すべきです。育成のための評価については、例えば被評価者の態度があまり良くないと感じたのであれば、評価者の主観がある程度反映して「もっと態度を良くしたほうが成果が上がる」と言ってあげてもいいと思います。しかし、処遇のための評価では、頑張らない人と精一杯頑張っている人の成果が同じであれば、主観は入れずに同じ成果ということだけに着目し、同等に扱うべきだと考えます。
太田先生の著書

市場や社会は北極星のような存在。
組織も個人も そこを目指していけばいい。

―― そういった分化があって初めて、先生が主張されている「直接統合」から「間接統合」へという流れにつながるということですね。


「直接統合」というのは、組織の中に入ったならば、個人は組織の目標や価値観を受け入れ、組織と同じ方向に動いていくというものです。対して「間接統合」というのは、組織には組織の目標がある一方、その中に属していても個人の目標や価値観は個人のものとして持ち続けていい。このふたつが必ずしも一致しなくていいということを示しています。しかしながら、組織と個人がバラバラの方向を進んでいいということではありません。それらをつなぎとめるものが市場であり、社会からの評価です。例えて言うと、市場や社会というのは北極星のような存在だと私は思っています。そこを目指していけば、結果的に市場や社会に評価されます。個人として自己の実力を社会的に評価されるということは必要不可欠ですし、企業も市場の要求に応えなければ生き残れません。つまり北極星を目指すという目標が同じであれば、「いまは会社がこちらを向いているから、みんなでこっちを向こう」と余計なルールを設定する必要も、厳しく個人を管理する必要もなく、個人は自分の価値観をそのまま持ち続けることが可能です。
「直接統合と間接統合」『組織を強くする人材活用戦略』(日経文庫)から抜粋

多元化するポスト工業社会に必要なのは、「間接統合」の考え方で、これからの働き方、生き方を定義づけるものと考えています。
とはいえ、利益を上げるのが企業の目標ですし、その企業にいる限り、個人も企業の目標に貢献するというのは大事なことです。ただ、その貢献の仕方に対して、今後はより柔軟性が求められるでしょう。短期的な視点、中長期的な視点でも変わってきますが、貢献の仕方はできるだけ広くとらえたほうが、個人の自由度は大きくなります。すぐには企業の利益にはつながらなくとも会社の基盤を強くする、あるいは、その人が外で活躍することで会社のイメージが良くなるなど、さまざまな貢献の仕方があっていいと考えるべきです。

人生100年だからこそ 初めて自己のキャリアを選択し、 能力を高めていく時代がやってくる。

―― 人生100年時代と言われるようになりましたが、これからの時代、個人としてどのように働き、学んでいくべきかお考えをお聞かせください。


まず、先ほど長期雇用そのものを前提としない組織のあり方の話をしましたが、人生100年という観点から考えても、今後はこれまでのような定年まで勤める働き方は減少すると思います。調査結果などを見ますと、いまでも日本人は勤める企業が生涯1社という人がもっとも多いのですが、欧米などでは平均3社程度です。人生100年時代が到来すれば、日本でも3社、4社と会社を渡り歩いていくことはスタンダードになるでしょう。これまでの60歳定年の社会では、本当の意味で自分で人生やキャリアを選ぶ機会はなかったと言えるかもしれません。何も分からないうちに会社に入り、そこで成り行きで定年まで勤めていたという人も多いのではないでしょうか。100年という人生を考えると、いままでより多く人生の節目がやってきます。ある程度年齢を重ねて迎える節目では、それまでに得た経験や知識もあるので、そこで初めて自分で仕事を選び、能力を身につけていく選択ができるようになると思います。働く中で自己の適性に目覚め、まったく異なる方向へ進むという人も当然いるでしょう。企業は、利害が一致する範囲でそれを支援し、あとは自己責任で能力開発をするというスタイルが標準となっていくと考えます。

AIもまた組織のあり方、働き方、そして学び方を一変させる要因であることは言うまでもありません。AI時代に人間が求められていることは、究極的には直感やアイデアの創出です。では、AIに負けない人材とはどんな人材か。それは、遊んでいるように仕事ができる、遊びと仕事の境界線があいまいな人と言えます。なぜならば、干渉や拘束、命令の環境下ではアイデアを生み出すことは非常に困難だからです。ネコのように自由きままで、遊ぶように仕事ができ、自己責任を持つ人材が、これからの人生100年時代に、中心となって活躍していくと思っています。
2018年7月9日 同志社大学 今出川キャンパスにて 取材・撮影