デジタルクリエーター:若宮 正子氏


79歳にしてICTのエバンジェリスト(※1)としてTED(※2)でプレゼンテーションを行い、81歳にして独学のプログラミングでiPhoneアプリを開発。 世界中の精鋭プログラマーが集まるといわれるWWDC(※3)(世界開発者会議)にアップル社から特別招聘を受けて登壇し、ティム・クックCEOと語り合う若宮正子さんの映像をご覧になった方も多いだろう。 いまもっともアクティブなシニアとして注目される若宮さんに、人生100年時代のキャリアと学びのあり方、そして生き方についてお話をうかがった。

(※1):IT環境のトレンドや最新テクノロジーをユーザーに向けて分かりやすく解説し啓発を図る人
(※2):Technology Entertainment Design
(※3):Worldwide Developers Conference


デジタルクリエーター /メロウ倶楽部副会長/ NPO法人ブロードバンドスクール協会理事
若宮正子(わかみや・まさこ)

1935年、東京生まれ。東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業後、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)へ入行。同行で女性初の管理職の一人となった。定年をきっかけに、同居する母親の介護のかたわらパソコンを独学。2016年秋からiPhoneアプリの開発を始め、81歳で開発した「hinadan」で高い評価を得て、アップル社によるWWDC(世界開発者会議)に特別招聘された。
安倍内閣の「人生100年時代構想会議」の最年長有識者メンバーにも選ばれている。著書に「60歳を過ぎると、人生はどんどんおもしろくなります。」(新潮社)「明日のために、心にたくさん木を育てましょう」(ぴあ)など。

計算が苦手だった新人時代を経て、 積極的に業務改善案を提案。 三菱銀行における 初期の女性管理職になるまで。

―― 長く銀行に勤務されてきましたが、女性行員に対する組織の考え方や環境などもずいぶん変化してきたのではないでしょうか。


私が入行したのは1954年で、当時の銀行業務はお札は指で数え、計算はそろばん、書類はペンをインク壺につけて書くという時代でした。私はもともと不器用でしたので、手先の器用さを求める銀行にとって、私はどちらかというとお荷物になっていたのではないかと思います。

ところが、入行して10年ほど経ったころ、6桁の掛け算などもできる「電気式計算機」というものがアメリカからやって来ました。それを見学したときに、商業高校出身で、珠算1級を持っていた男性行員の顔色が変わったのをいまでも覚えています。その後、電気式から電子式に変わり、さらにインターネット時代が到来すると、銀行の総合オンライン計画などが策定されるようになりました。そうなると、お札を指で数えたり、珠算ができたりというスキルはもはや重要視されなくなりました。次に重宝されたのは、コンピューターを上手く使いこなせる人や、きれいな企画書を作れる人、そしていまは営業的な視点や柔軟な思考を持つ人が有能とされています。

私自身の話をしますと、私は元々なにか新しいことを考えることが好きでしたので、さまざまな業務改善策などを関係部署に提案していたところ、そういう資性を生かせる、主に法人向けの業務開発部門へ異動になりました。そこでやりがいのある面白い仕事をさせていただきながら、それなりに経験も積んだ頃、管理職になるための試験を受けました。当時はいま以上に高卒と大卒の間に学歴の高い壁が存在しており、「大卒の人は知識と教養があるが、高卒の人は実務は強いけどもそういうものが欠けている」と思われていた時代でした。それを乗り越えるために作られた試験だったのだと思います。しかし、なぜかこの試験を受けた女性は一人もいませんでした。念のため人事部にも尋ねたところ「受けてもいい」という返事でしたので、私はさっそく受験したのです。
1986年に男女雇用機会均等法が施行された影響もあり、恐らく銀行だけでなく世の中が、大企業に女性の管理職が一人もいないのはおかしいという風潮になっていたのでしょう。そういった時代の流れも幸いし、私は女性初の管理職となりました。

こうして振り返ってみると、私という人間はあまり変わってはいないのですが、私を取り巻く環境はまるで歴史絵巻のように、どんどんと変わっていきました。AIが台頭し、世の中の考え方や価値観が大きな変化を遂げようとしているいまは、まさに私が約40年の銀行勤務を通じて経験してきたうねりと酷似しているように感じます。

その日その日に常に全力。 課題や解決策を発見するアンテナを 働かせていた。

―― 高度成長を支えた重要な金融センターである銀行に入られるにあたって、なにか夢やビジョンといったものをお持ちだったのですか。


それが、あまり持っておらず、大人になってからも、年を取ったいまも、あまり先のことは考えません。今日のことで手いっぱいです。とはいえ、銀行時代は求められるまま、ただ受け身で働いていたわけではありません。企画系の仕事は、プロとして自分で提案しなければならない立場ですから、職業的にも、何か課題や解決策を発見するアンテナがいつも働いていました。もともと小さいときから好奇心がすごく旺盛で、何かを思いつく、考えつくというのが得意だったこともあります。

ただ、私たちの年代というのは小学生くらいで戦争に巻き込まれて、学童疎開などを経験し、もう本当に飢餓すれすれのところを通って生きてきました。好奇心が旺盛といっても、いまの子どもたちのような環境とはまったく違います。生き延びることができるかどうか、ただただ、ものすごく不安な毎日でした。もちろん授業などはやっておらず、勤労動員で小学4年生の子どもが、大きな丸太を山から運んでいたのです。私も栄養失調でフラフラしながら担いで下りたものでした。ですが、国中どこへいってもみんなそうだったので、特別なことだとは思いませんでした。そうした戦争体験が、自分の生き方や考え方に影響を及ぼしたのは確かです。

自分自身が リカレント教育のひとつの見本。 減価償却した知識は 更新されなくてはならない。

―― 内閣の「人生100年時代構想会議」では最年長の有識者メンバーとして参加されていますが、どんな議論がなされているのですか。


いまは教育問題に取り組んでいます。なぜ私がメンバーになっているかと言えば、リカレント教育、つまり「学び直し」というテーマもその議論の中でかなり大きな部分を占めているからです。
6歳から15歳まで義務教育で学んだことは、ある程度の年齢になれば大体もう減価償却済みだと私は思うのです。そうすると、ミドルになったとき、そしてシニアになったときと、あと2回は義務教育レベルの学習をリカレント教育として学ぶ必要があると考えています。 具体的には、まず、シニアにも勉強をする機会と場所を積極的につくろうということです。現在でも、生涯学習センターなどがありますが、たいていは心構えのレベルで終わってしまっています。
国がこれから主導権を持ってやるのであれば、私は必修科目として理科と社会科を設定するべきだと申し上げています。まず理科については、私たち子どものときといまとでは、原理原則までも変わった上に、先端技術、ICTといった新しい知識の吸収が必要になっています。例を挙げますと、リタイア後に農業をやるとしたら、昔のように種をまいただけでは、なかなかうまくいかないでしょう。光合成や遺伝子組換えなどの知識があった方が有利に農業ができると思うのです。ほかの仕事もしかりです。社会科も、いまの若い世代にとっては常識であっても、昔の世代にとっては理解できないことや判断しがたいという場面が多く見受けられます。今のマスコミをにぎわせている、パワハラやセクハラの問題も、シニア世代の認識不足と言わざるをえません。

社会の構造が変われば、それに伴って常識や考え方も変わります。社会の変化やそれに伴う価値観の変化もやはりリカレント教育を通して学ぶべきだと思うのです。 また、私は総務省の「IoT新時代の未来づくり検討委員会」にも委員として参加しています。私がiOSアプリのプログラムを学び始めたのは81歳からでしたが、最初はWindowsユーザーだったこともあり、本当に戸惑いばかりでした。

そのときに知り合いの宮城県に住むアプリ開発者の方がプログラミングを教えると言ってくださったのです。ですが、神奈川県に住んでいる私が宮城県の先生のところまでそう頻繁に行き来はできません。
そこでSkypeやFacebookメッセンジャーを使って、ファイルを共有しながらプログラミングを教わり、「hinadan」をリリースすることができたのです。これからの教育コストの問題をクリアするためには、こうした遠隔教育など最先端技術を積極的に導入することが必要だと私は考えています。
iPhoneアプリ「hinadan」

新しいテクノロジーとつきあうためには 人間力が必要。 それはリアルとバーチャルの 両方を体験しないと養えない。

―― いまの子どもたちは100歳まで生きるだろうと言われていますが、長く生きることがあたりまえとなるその時代に、いまアクティブなシニアとしてアドバイスをおくるとしたら、どんなことでしょう。


AIについてはその可能性、危険性など多くの議論がありますが、AI化時代の到来を避けることはできません。AIと友達になって、きちんとつきあっていくしかないと思っています。ただ、一つ大事なことは、こちらの人間力を向上させておかない限り、AIとはつきあっていけないという点です。つまり、テクノロジーが進化すればするほど、逆説的に人間力というものを重んじる必要があると考えています。
この人間力というのは、バーチャルなものとリアルなものの両方を体験しないと養うことは多分できないでしょう。机やパソコンの前で学問をするだけでなく、なるべくいろいろな人とつきあうことが大切です。生きている現代の人とも、もう生きていない昔の人ともつきあう。作家とは本を通じて、ベートーベンとは音楽を通じて、シスレーとは絵画を通じて、それぞれの分野の一流の人たちとつきあうことができます。

そしてもう一つ大切なことは、なるべく多くのリアルな体験をし、失敗をどんどんしようということです。例えば子どもが電子工作でロボットを作ったとします。上手に歩行できるものを作ったので拍手喝采!ではなくて、それまでにどういう失敗をしたかということのほうがずっと重要なのです。右向きに倒れたら、どうすれば右に重心がいかないようになるのか。前に進まなくなったら何がいけなかったのか。失敗から得られるデータは、次の開発に生きる大事な材料になります。同じように、人生で失敗をしたとしても、それは決して悪いことではなく、データをより多く手に入れられたということに他ならないのです。
ですから親世代や、おじいちゃん・おばあちゃん世代の人が、子どもにああしろ、こうしろ、あれはダメ、これはダメという指示はしないほうがいいでしょう。子どもはなるべく自分の判断で成功も失敗もして、多くの経験を積むべきです。
次の2020年からの新しい教育方針では、そもそも先生がいままでのような知識を詰め込む授業をせずに、子どもたちが自ら体験し学ぶことをバックアップする学習に切り替わります。玉石混淆のインターネットの世界を考えると分かると思いますが、ある知識を見つけたら、これは怪しい、これは大丈夫と自分で判断をし、必要な情報を自分で集め、自分で加工する。そういった判断力、収集力、加工力が必要な時代がやってきます。それらを養成するためにも、失敗をすることはとても大事なことだと思います。

学びを通じて 豊かな個性や独創性を形成した個人。 それを受け入れられる企業風土の 変革が求められている。

―― 若宮さんはご自身にとって学びというのはどういうものだとお考えでしょうか。そして学びを通した個人の経験や能力を生かすために企業はどうあるべきだとお考えですか。


例えば、昔は「プログラマーも30歳を過ぎるともう使いものにならない」と言われた時代がありました。しかし、いまアプリ開発という分野で見ると、プログラムのコードを書けるというスキルだけでなく、消費者がどんなニーズを抱えているかを的確に捉え、その先がどう変化していくかの見通しを立てられる力が求められています。つまり、むしろ社会経験を積んだベテランならではの視野の広さや経験則がプログラミングに生きてくるということです。

さまざまな学び、そして学びを通した経験はロボットやAIにはない豊かな独創性や個性を形成します。これから社会で活躍する人材というのはまさにそうした特別な何かを持つ人なのではないでしょうか。ですから企業はもっとそういう人材を受け入れる体制を整え、変わっていくべきなのでしょうね。就職活動の解禁日に同じようなリクルートスーツに身を包んでいる若者たちとそれをそのまま受け入れる企業の構図を毎年見かけます。個性ある人材を求める社会なのですから、赤いTシャツを着て行く学生がいてもいいし、それを歓迎する企業があってもいいのですが、結局掛け声だけで終わってしまっています。いまの企業には10の掛け声よりも1の実践が必要です。退職の挨拶状に「大過なく過ごし、ここに定年を迎えました」と書かれているのを見ると、大過もなかったけれども進化もなかったのではないかと私は思ってしまいます。大過なく過ごすことよりも進化を大事にする、そういう気持ちを企業も社員も持てる風土になってほしいと心から願っています。

先ほどこれからの子どもたちは人間力アップのためにいろいろな経験をしたほうがいいと申し上げましたが、それはシニアでもミドルでも一緒です。人生100年時代ですから、何歳からのスタートでも間に合います。私は60歳でパソコン、73歳でピアノ、81歳でプログラミングを始めました。いまは中学校の数学の勉強をしています。面白そうと思ったら踏み出してみたらいいんです。「明日やめるかも知れない」、「上手になるかどうか分からない」、そんなことを気にする必要はまったくないでしょう。どうなるか分からないからこそ、学ぶことは楽しいのだと私は思っています。