インタビュー:【未来予測】東京大学大学院 山内祐平氏 21世紀の今日。高度化する働きを支える学びのあり方はどのように変わるのか
ビジネスの現場に身を置いているならば、日々実感せざるを得ない働き方の変化、そして学び方の変化。労働環境のみならず、社会構造の変化をともなう時代の大きな激動の中で、私たちはどのように働き、いかに学んでいくべきなのか。
「学習環境のイノベーション」をテーマに、大学・企業・教育現場をつないだ実践的研究を重ねてこられた東京大学大学院の山内祐平氏に、働き方・学び方の双方に関わる変化とその展望についてお話をうかがった。
東京大学大学院 情報学環教授
山内祐平(やまうち・ゆうへい)
著書に「デジタル教材の教育学」(編著、東京大学出版会)、「学びの空間が大学を変える」(共著、ボイックス)、「デジタル社会のリテラシー」(岩波書店)、「『未来の学び』をデザインする―空間・活動・共同体」(東京大学出版会)など。
この記事は、通信研修総合ガイド2018特集ページ「「働き方」「学び方」の温故知新」の一部です。
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「空間」「活動」「共同体」「人工物」、学習環境デザインを構成する4要素
―― 先生のご専門である学習環境デザインというのは、どのような問題意識で始められた研究なのでしょうか。
もともとはデジタル教材の開発・研究で、コンピューターを使ったインタラクティブな学習教材をいかに設計するかの研究がキャリアの出発点でした。そこから、例えば学校だと教えてくれる先生やともに学ぶ仲間もいて、いろんな環境が複合的に作用して学習を進めやすい環境ができていますが、今は、そういう整った環境以外での学習シーンが多くなってきています。その中で人を教育していくためには、教材の質だけでなく、学習空間や学習の共同体、学習活動のあり方などを含めて、包括的に研究していく必要があると考え、領域を広げて学習環境デザインとして研究しています。
学習環境で重要になるのが、「空間」と「活動」と「共同体」、そして教材を含む「人工物」で、その4つの要素から考えることを研究の柱としています。「空間」とは、今までは、先生の話を聞いてノートをとることに特化した教室が多かったと思いますが、最近はアクティブラーニングスタジオとしてグループワークをしながらプロジェクト学習をするための専用の部屋が注目されています。
東大の駒場アクティブラーニングスタジオは、ICTも自由に使うことができ、グループワークを中心にモノを作りながら学んだり、ディスカッションしながら問題を解決したりすることができます。MITやスタンフォード大学にも同様のものがあります。話を聞くだけでなく、自分で主体的に活動していくための仕組みをどう設計していくかがこの「空間」のテーマです。「活動」は、こういうアクティブラーニング型の授業、講師派遣研修だとワークショップ型の研修がありますが、そういう参加型の講座をどのように構成するかという研究です。
「共同体」は学習コミュニティをどのように育成するかというもので、例えばFacebookを使って高校生と大学生、社会人をつないでキャリア学習を支援するということをやっています。そして最後は、教材という「人工物」になります。
「ワーク・ライフ・バランス」から 「ワーク・ライフ・ラーニング・バランス」の時代へ
―― 働き方・学び方の温故知新ということが今回のテーマなのですが、働き方という点で見た場合、近い将来、働き方はどう変化するとお考えですか。
企業が社員に求めていることがどんどん変わってきています。以前であれば、上司が言ったことをそのまま素直にやってくれる人が求められる人材像の代表例でした。しかし最近は、新卒の人に何を求めますかとたずねると、要するに「稼いでくれるような新しいビジネスを立ち上げられる人」という答えが返ってきます。これはかなり厳しい要求で、新しいことを立ち上げること自体も難しいのですが、それを続けていくのはさらに困難なことです。
新しいことを立ち上げ続けるためには、常に学び続けていることが必要です。状況がこれだけ早く変わっていく社会の中で、新しいことをきちんとモニターして、かつ自分の専門性に引きつけながら、問題解決のシナリオを作ったり、そもそもどこに問題があるのかを発見したりするのは、学び続ける時間がないと無理です。
現在は、生活と労働のバランス、「ワーク・ライフ・バランス」とよく言われますが、私はそれだけでは不十分だと思っています。
近い将来、これが「ワーク・ライフ・ラーニング・バランス」という認識を企業やビジネスパーソンには持ってもらいたいですね。人生の中の10%くらいを学習に割ける働き方ができる企業とできない企業で、社員の問題解決能力がずいぶん変わってくるだろうな、という気がします。
学習に時間を割くということができないと、働く人間はただ消耗してすり減って終わってしまう。それは新しいことを生み出しにくい組織体質を意味しますから、短期的にはコストがかかっているように見えても、きちんとワークの質が高まるように学習サイクルを上手にデザインすればいいことです。ですから、今後は10%くらいの時間を学習に割けるような働き方に注目が集まってくると考えています。
キャリア・チェンジを考えた学びと、新しい自分にアップデートすることの大切さ
―― 学び続けるといったとき、その学びは、もはや若手だけでなく40代、50代、またシニアクラスにとっても必要になってくるかもしれませんね。
今、社会が大変な勢いで変わってきているという認識は多くの人がお持ちですが、それはまだ漠然としたものではないでしょうか。おそらく今後問題になるのは、若い人の平均寿命がかなり延びるだろうと予測されていることなのです。さまざまな統計から、よく人生百年時代の到来と言われますが、平均寿命がどうなるかはともかく、100歳まで生きる人が相当数まで増えるだろうという共通した予測が立てられています。
例えば100歳まで生きて80歳まで働こうとしたら、大学を卒業する22歳くらいからリタイアまでの時間は気が遠くなるほど長いですよね。15年に一度キャリア・チェンジがあるとすれば、人生で4回ぐらいその機会がある計算になります。この長い時間をどう過ごすべきか。もちろんシニアになってから考えるということもあると思いますが、多分、最初から考えておかないと厳しい時代になってくるだろうな、という気がします。(下図参照)
「将来こういうことがあるだろう」とある程度把握して人生設計をするのか、先のことをまったく考えずにやり過ごすのかでは、人生がだいぶ違ってくる時代がきます。20歳から40歳くらいまでの間にやっていることが一生は続かないということを前提にすると、先ほどの話につながるのですけれども、次のステージに向けた跳躍の力を、その前のステージで貯めておかないといけない。40歳になったから、次のステージにいきなり行けるわけではありません。やはり今、自分が働いている中で関心があること、学んでいること、これから伸ばせそうなことなどを、常に意識しながら次の15年に備えるということが数十年間にわたって必要になってくる。以前の終身雇用の働き方やルールとはまったく異なってくると思います。
学ぶという行為は自分を変えることです。年齢を問わず、学びによって新しい自分になり、新しい自分にアップデートすることで、仕事を通じ社会貢献できるというのが本来の生き方ではないでしょうか。
21世紀の学習資源は紙媒体から、インターネットを主軸とした時代へ
―― 学び方の潮流というものを俯瞰してみれば、どのように変化をしてきているのでしょうか。
非常にざっくり言えば、20世紀という時代の学び方は教科書から学ぶというのがスタンダードとして確立しています。それは逆に言うと、教科書という形にする時間的な余裕があるほど知識が安定していた時代でした。本にする以上、そんなに簡単に内容は変えられませんから。適切な本にあたって自学自習をしたり、その本を書いている大学や大学院の先生についたりすれば、ほとんどの領域で学習ができたという時代が20世紀です。
それに対して、21世紀に入ってからは、アップデートのスピードが非常に速くなりました。もちろん今でも教科書はありますし、安定している知識は本から勉強するというのは有効な方法です。しかし、教科書に書いてあること以外のプラスアルファが常に生み出される。新しい知識の生産がすごく早いので、教科書には一番新しい部分がないという時代です。大学にいて実感するのは、論文が電子ジャーナル等で出るようになり、アップデートする知識の進み方がものすごく早いので、教科書が相対的に古くなるということです。
そうなると、新しいことを生み出そうとした場合、教科書を見ているだけでは不十分で、後はネットからどれだけ新しい情報を引き出せるのかがだんだん主軸になってきています。
つまり、教科書の時代からネットの学習資源、オープンエデュケーショナルリソースと言いますが、それをどう活用するかにシフトしつつある今、当然ネット上の情報は玉石混交でいろんなものがありますから、ネットを検索すれば学べるわけではなく、その中から上手に自分に役立つものを見つけたり、先ほどの話ともつながりますが、同じように学習する仲間を見つけたりしていくことが非常に重要になってきています。
維新に学ぶべきは、恐れることなくさまざまな世界とつながる勇気を持つこと
―― 歴史を振り返ると、明治維新後、日本の教育システムというものはそれ以前とは激変しました。同じような変動が今起こりつつあると考えていいのでしょうか。
明治期に近代型の学校システムができたわけですが、それには2つ意味があると思います。ひとつは国民国家を形成し支えるシステムとして作られたということ。もうひとつは産業社会における工場などで、きちんとマニュアルを読んで働いたり、エンジニアの育成等、高度な能力を持った人材を育てたりという意味です。日本はそうした近代化が成功して今日があるわけですが、現在起きていることは近代の後のポストモダンな状況になっていて、正解がない世界の中で、みんなが課題を見つけながら国境を越えてつながっていくという流れになってきています。
そうすると、やはり近代型の学校システムではカバーできないことが出てきて、OECD加盟諸国は今、教育の高度化と国際化の方向に舵をきっています。日本の文部科学省もアクティブラーニングということを言ったり、留学を推進したりするわけです。だいたい各国似たような政策をとっていますよね。それは、答えがない世界にふさわしく、答えがないものに対する生涯学習を支えるシステムが必要になってきている現れだと思います。
それこそが、まさに学習環境と言われるものなのです。正解がないものを一生追い求める社会で、その学びを支えるための社会資源として学校教育以外の学習環境をどれだけ構築できるかが問われる時代になってきているのだと思います。大学がMOOC(ムーク)という形で、無料でいろんな学習資源を公開していることもその中のごく一部、ということでしょう。
明治維新をリードした人々は、生きて帰ってこられるか分からないほどの思いで、海外に出て学び、学びで自分と国のあり方を変えていきました。今、維新からビジネスパーソンが学ぶとすれば、維新の人々と同じように、恐れることなく勇気を持ってさまざまな世界とつながっていくことだと考えます。それがこの社会をより良く変えていく力になっていくはずです。
この記事は、通信研修総合ガイド2018特集ページ「「働き方」「学び方」の温故知新」の一部です。
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