インタビュー特集:【歴史考察】歴史家・作家 加来 耕三氏 変革の時代にあって、その局面を乗り越えリードするのはどのような人材なのか

時代の変化の激しさに直面するとき、人は歴史を振り返り、現在を考え、未来を推し量ろうとする。 日本のみならず世界が大きな変革期にあると言える現代にあって、明治維新150年という節目をどのようにとらえるべきなのか。
企業や官公庁に対して多くの提言をしている歴史家の加来耕三氏に、明治維新から何を学び、これからの時代に何を生かしていくべきか、その展望をうかがった。

歴史家・作家
加来 耕三(かく・こうぞう)

1958年、大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科卒業。同大学文学部研究員を経て著述活動に入る。
テレビ・ラジオなどの番組監修、出演も多い。
主な著書に「歴史に学ぶ自己再生の理論」(論創社)、
『坂本龍馬の正体』(講談社+α文庫)、「日本史は『嫉妬』でほぼ説明がつく」(方丈社)、「刀の日本史」(講談社現代新書)、「加来耕三の戦国武将ここ一番の決断」(滋慶出版/つちや書店)、「財閥を築いた男たち」(ポプラ社)など。

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明治維新から150年の現代もまた、大きな改革のときであると言える

―― 2018年は明治維新からちょうど 、150年となります。 この節目をどのようにお考えになりますか。



 明治維新を起点としたとき、たしかに150年を迎えます。しかし、日本の歴史を大きく見た場合、維新に相当する大きな変革というのは何回もあったのです。かつて大化の改新と言われた乙巳(いっし)の変。それは成功したけれども、南北朝の改革は成功しませんでした。江戸時代は亨保の改革をはじめ、天保の改革などがことごとく失敗していますが、明治維新だけは成功しています。また、第2次世界大戦のあとの改革も成功したと言われています。こうした成功と失敗を分けたものは何かと言うと、外圧がかかったか否かなのです。外圧がかかった場合に改革は成功する、と私は考えています。すなわち既得権益を放棄するか、命をとられるかというような瀬戸際になって、はじめて日本人は改革を成功させることができるのではないかと思うのです。

 明治維新から150年を迎えるこの節目は、単にアニバーサリーである以上に、大きな改革のときでもあると思います。明治維新を1回目、終戦を2回目とするなら、今回は第3の大きな節目となります。ところが、この第3の改革は、既得権益を放棄しなければならないほどの現実が、きわめて見えにくいわけです。

 武士階級が退場した、戦争に負けたというような分かりやすい現実がない。ただ経済のグローバル化といった事態だけで、身にしみて思うことが出てこないのです。したがって変革そのものになかなか繋がっていかないわけで、私は残念ながら、この大きな過渡期の変革は、今のままでは失敗に終わる可能性が高いと感じています。
 ではどうすればいいかと言うと、前の成功に立ち返って、もう一度学ぶべきだということです。明治維新の時はなぜ成功したのかと考えれば、明らかに一つ言えるのは「非常の才」を用いたということでした。

この時代を乗り越える「非常の才」は、通常の人事では育ちにくい

―― 「非常の才」とはどのようなものでしょう。それは現代にあっても可能なものなのでしょうか。



 「非常の才」とは、かつての中国で過酷な試験制度として知られる科挙で用いられた、文献の一つに『文章軌範(ぶんしょうきはん)』という本があるのですが、その中にある「非常の人ありて、非常の業あり」から来た言葉です。すなわち「非常の人」というのは、まさに文字通りで、常ならざる人。非常事態になったときというのは、非常の才を持っている、非常の人を用いるしか方法がないということが書いてあります。常ならぬ人というのは、ふだんは活用されることがないけれども、いざという局面でその才を発揮します。
そういう非常の人、非常の才を用いることができた時代の改革は成功し、持つことができなかった時代は失敗してきていると思います。ですから、この変革の時代を成功させるためには、非常の才を見いだし、あるいは育てていくことが必要となります。
そうした才能は、企業のよくある計画人事などでは育ちにくい、と私は思っています。なぜならば、計画人事で重宝されるような協調性のある人間に、時代を変えるような大きな決断力は、なかなか望めないからです。
グローバル化の時代に必要なのは、反射的に正しい判断をし、行動していく力であり、突破力であり、リーダーシップなのです。維新で傑物と言われた人たちは、みなそういうリーダーシップを持ち、行動力を持っていました。薩摩藩にあって、藩に受け入れられず何度も島流しにあった西郷隆盛。長州藩にあって、藩政の常識を覆し、武士以外の庶民を組織して奇兵隊を創設した高杉晋作。彼らはみな非常の才であるし、現代に通じるリーダーシップの持ち主ではないですか。われわれのこの時代が、こうした非常の人たちを再び持てるかどうか。そのことが、明治維新150年の今日、問われているのだと思います。

「非常の才」は、メインストリーム以外から登場してくる

―― 「非常の才」はどこから生まれ、また変革の時代とはどのようなものなのか、歴史家としての考えをお聞かせください。



 そうした非常の才がどこから出てくるかと言えば、歴史的に見ても、メインストリームからではないことは明らかです。出てくるとすれば、大きく三つあって、一つはおそらく、いわゆる「ゆとり世代」からでしょう。上の世代に、何を考えているのかわからないと思われている世代から出てくると思います。二つめは帰国子女です。日本の雰囲気や空気が読めない、読もうとしない人たちから出てくるでしょう。三つめは、日本にいて日本企業で働いている外国人から新たに出てくると考えています。そして、それをまとめる人間が、次の世代に出てくるでしょうね。

 明治維新という危機の時代、変革の時代が、非常の才を生んだわけですが、では、その明治維新はどこから始まったのか。大政奉還でしょうか。ペリー来航でしょうか。日本という一国だけの歴史を見ればそうかもしれませんが、世界史の流れで見ると清国でのアヘン戦争から、明治維新が始まったと言えます。封建制の隣国がアヘン戦争で負けたという危機感が、同じく封建制国家であった日本を揺り動かしたわけです。

 そして日本はその後、富国強兵のような政策で欧米諸国にキャッチアップすることに成功しました。 これもまた、日本という一国だけを見ればそう見えますが、岩倉使節団が明治3年にできたばかりのドイツ帝国を訪れ、大久保利通らが“鉄血宰相”と言われたビスマルクと会っている事実を忘れてはなりません。ともに新国家樹立のために苦闘をしている者同士の会話から、富国強兵政策が生まれてきているわけです。これが、世界史と通底する日本の歴史であり、歴史のダイナミズムなのです。したがって変革の時代とは、その一国における事象だけを見るのでなく、世界の歴史全体の中で見なければなりません。それこそビスマルクの言葉通り、「賢者は歴史に学び、愚者は経験にしか学ばない」ということです。

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