海外に生きる(2) ~一人ひとりが小さな外交官~

海外に生きる(2) ~一人ひとりが小さな外交官~

海外へ旅立っていく学生に必ず伝える言葉があります。それは、「皆さん一人ひとりが小さな日本の外交官のつもりで留学生活を送ってください。」ということです。これは、私のニューヨーク留学時代、ハーバード倶楽部でのYWCA主催チャリティーパーティーへ招待された際に、日系二世弁護士の村瀬二郎氏がゲストスピーカーとしてお話になった中で、大変印象に残った言葉です。
村瀬氏は、第一次世界大戦前のニューヨークで日系二世として生まれ、お父様の教育方針で、一時帰国し生活していた日本で日米開戦となり、米国への帰国ができないまま日本で終戦を迎えました。終戦後、再び米国へ戻り、当時はまだ徴兵制度があったので、すぐに米兵となり、その後は、ジョージタウン大学で法律を学びました。二つの祖国を生き、日系二世として戦後の日米関係修復、摩擦緩和のために奔走した弁護士です。

村瀬氏は、77~81年のカーター民主党政権下で大統領通商諮問委員に就いたのを皮切りに、国務省多国籍企業諮問委員、日米欧委員会(現三極委員会)委員などを歴任し、米国の政財界に強い影響力を持った最も成功した弁護士でした。
また、村瀬ご夫妻は、私の6年間の留学生活をサポートしてくださった人物であり、ニューヨークでの日本人としての生き方を学ばせていただきました。
ここに、村瀬氏の人柄を知るエピソード記事(2014年10月号 LIFE「ひとつの人生」)があります。「まだ、ワシントンの名門ジョージタウン大学に在学していた50年代。ロースクールに通いながら、国務省のラジオ放送「ヴォイス・オブ・アメリカ」(VOA)で編集兼翻訳を務めていた村瀬。そこに大きなリール式のテープ・レコーダーを抱えて売り込みに来たのが盛田だった。『これを使ってみてくれ、すべて日本製の録音機だ』名刺にはソニーの前身、東京通信工業と印刷されていた。盛田が持ち込んだ録音機を見て、放送局のエンジニアたちは『日本にこんなものは作れない。ドイツ製の部品を組み立てただけだ』と鼻で笑ったが、分解した結果、日本製ということが分かり、村瀬は我がことのように盛田の手を取って喜び合った。村瀬は盛田の語るソニーの未来像、そして日本の将来像に共鳴し、それから2人の親交は40年以上に及んだ。89年、ソニーは大手映画制作会社コロンビア・ピクチャーズの買収に乗り出した際も、凄まじいジャパン・バッシングの嵐の中、日米関係を憂慮した村瀬は、ワシントンなどに何度も足を運んでは日本の真意を説き、火消しに走り回った。」
私の想像でしかありませんが、戦後は、日本人に対しての差別との戦いだったのではないでしょうか。根気強くどれだけの時間をかけ、日本に対する誤解を修正してきたのか、その苦労は計り知れません。実際に、70年代~80年代の日米貿易摩擦や日米関係の深刻な危機など常に日米の絆づくりを考え、橋渡しを買って出た村瀬氏。「皆さん一人ひとりが小さな日本の外交官であると考えてください。」という言葉はとても重いものに感じます。

日本人一人ひとりの小さな行為が、海外で出会った人にとっては、はじめて出会う日本の文化であり、日本そのものを象徴している訳ですから、日本を代表する外交官になった気持ちで、責任を持った行動と日本に対する間違った誤解を修正し、自分の考えを正しく伝えていってほしいです。
留学プログラムの担当を長年続けていく中で留学先から「日本人はすばらしい」という報告を耳にするとき私にとって一番嬉しく誇りに思う瞬間です。これからも、私なりに、「小さな外交官」を送り出す努力を続けようと思います。
21世紀にはいり、日本社会はグローバル化がいっそう進んでいます。新米国大統領就任後、日米の関係について改めて、考えていかなければならない時代に突入しているのではないでしょうか。
海外に生きる

公開日:2017年03月15日(水)