【SANNOエグゼクティブマガジン】見えない未来を切り拓く~社会動向から世の中を見る

不透明な時代だからこそ、未来を考える

先日、あるセミナーで講師役を務めさせていただきました。テーマは、経営理念・ビジョンの重要性。不透明な時代だからこそ真剣に未来のことを考えましょう、自分たちの夢や哲学をしっかりと掲げて内なる力を蓄えていきましょう、という内容でした。とはいえ、最近の経営環境の変化はあまりにも急激です。それまで売れていた製品がパッタリと売れなくなり、必死で集めた労働力が余剰人員になっています。不安定な未来のことを考えても無力感が募るばかり、と嘆きたくなるのも無理はありません。

未来を語る上でカギを握る「無常」

しかし、それでも経営者は未来を語らなくてはなりません。未来を語り、未来を創るのが経営です。

ではどうするか。思い出すべきは「無常」という概念です。無常とは、「万物は生滅流転し、永遠に変わらないものは一つもない」という状態。いわば、自然の状態です。常なるものを追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人の多くは移ろいゆくものにはかなさを感じ、「無常」と上手に共生してきました。両者に学ぶべきところがありますが、最近の日本企業は西洋的な経営手法に感化されすぎているような気がします。司令部がつくる計画や戦略によって「無常」はコントロールできる、そんな意識の企業が多いのです。でも、それは所詮無理なのです。計画も戦略も万能ではありません。

「無常」との付き合い方

では、計画や戦略以外の「無常との付き合い方」とはどのようなものなのでしょうか。 私は、そのヒントは、小林秀雄の文章の中にあるように思います。
「思い出が、僕等を一種の動物である事から救うのだ。記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。・・・上手に思い出す事は非常に難かしい。だが、それが、過去から未来に向って飴のように延びた時間という蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思われるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思える。・・・この世は無常とは・・・人間の置かれる一種の動物的状態である。現代人には・・・無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである。 」

小林秀雄『モオツァルト・無常という事』新潮文庫
1961年p.83~87

注) “・・・ ” は中略を示す
この文章のポイントは2つあります。1つは、人が動物的状態、すなわち無常から脱出するためには“思い出さなくてはならない”ということ。もう1つは、“思い出すこと”と“記憶すること”とは異なるということです。つまり、過去をただ記憶の中にとどめておくのではなく、思い出すことではじめて、人は無常から逃れることができるというのです。

過去ととことん向き合う

会社経営にも同じことが言えるでしょう。今は調子がいいからといって、過去の問題点に目をつぶっていては、逆風が吹いた時にまた同じ過ちを繰り返します。逆に、今は八方ふさがりだと思っていても、過去に重ねた試行錯誤の中に成功の種が隠されているかもしれません。

小林秀雄も指摘しているように、未来は過去の延長線上にはありません。しかし自分たちのこれまでの営みが記録されているのは過去です。未来を考えるために、あらためて自分たちの過去ととことん向き合ってみる。過去のデータを分析して終わりにするのではなく、過去をしっかりと思い出してみる。今こそ、そんな姿勢が求められているように思うのです。