風景写真を通じて日本人の感情を海外に伝える試み
はじめに・・・
風景は同じ場所であっても季節・天候・時間そして観る者の心境によってさまざまな表情をみせます。
筆者は風景写真の専門誌と協働で写真家たちが捉えた日本の風景をデータベース化し、海外から訪れる観光客への情報提供の方法について、学生とともに研究をスタートさせました。
ここで写されている内容は、単に日本固有の光景ではありません。
日本人が古くから抱いてきた「華やかさ」「儚さ」「侘び」などの感情が被写体を通じ表現されています。
それらが海外からの訪問者にどれだけ理解されるのか、また、かずかずの作品が新たな需要喚起になるのか。
作例を交えて探っていきます。
なお、この連載は写真誌編集部と本学学生、そして筆者との共同研究と同時にすすめていきますので、連載の結末は研究の進展次第であることをお断りさせていただきます。
まずは、この試みについて、しばしお付き合いください。
学校法人産業能率大学 経営学部教授
水島 章広
風景写真とは
「風景写真」とひとことで言っていますが、筆者がここで扱う風景写真とは、単に見えている光景を記録した画像ではありません。記録された画像を通じて撮影者が撮影時に抱いた心象や物語を、観るひとに伝える手段としての写真のことを言っています。
具体例を示しましょう。
写真1にあるように、満開のサクラは、これだけで春を語るに十分と言える被写体です。 しかし、これは満開の状況を記録したにすぎません。民家の屋根や無粋な電線まで写っています。
ところが、同じ個体を撮った写真2は、観るひとにどんな感情を抱かせるでしょうか。
サクラを擬人化して妖艶なさま、霧に隠れる前の儚さ、または浮遊感もありましょうか。
単に綺麗という感想の他に付帯する感情を抱かせる効果をもたらしてはいないでしょうか。
写真3の紅葉もまた、日本独特の被写体です。
同じ個体の写真4では、枯れ木との対比を撮っています。
私はこれを見つけたとき「栄枯盛衰」の言葉が浮かび、夜を迎える峠道で残光を惜しみつつ撮り続けたものでした。
「もののあはれ」。これも日本人なら共通に抱く感情ではないでしょうか。
風景のなかの小さな一点が、物語を紡ぐことがあります。
写真5の泳ぐ水鳥はいかがでしょうか。
どこから来て、どこに何をしに行くのでしょう。
小さな自然のふるまいに思いを託す、そんな感性が日本人なら誰にでもあると思うのです。
感性を伝える風景写真
このように撮影者の眼に入る光景に意味をつけて鑑賞者に伝える作品のことを、ここでは風景写真と呼ぶことにします。
そして日本人独特の感性から生じた意味が作品に込められているならば、その作品は外国のひとびとに日本人のこころを伝える媒体にはなるのではないでしょうか。
それを本コラムが求めるテーマとさせていただきます。
愚作例ですみません
このコラムで使う作品はすべて私の作としています。
読んでいただくかたに、作者の思いをより強く直感的に訴えるには、こんな愚作ではなく優れた作品で述べることが本筋でしょう。
このコラムのように、解説を読んで、ようやく作者の意図が理解されるようでは優れた作品とは言えません。
しかし、版権の理由から拙作の、そして未発表作を使わざるを得ないことをご容赦いただければ幸いです。