日本の食を考える ~ローカル・シンキング グローバル・シンキング~(1)

日本の食を考える ~ローカル・シンキング グローバル・シンキング~(1)

日本の食を考える ~ローカル・シンキング グローバル・シンキング~(1)

ユネスコ無形文化遺産に「和食」が登録され、世界中から日本の食文化が注目されています。グローバル化が進展する今、日本の食を考えるコラムを3回にわたりお伝えしてまいります。
気軽にお読みいただければ幸いです。

古より日本食の中心は米

【秋田刈る假盧(かりほ)もいまだ壊(こぼ)たねば雁がね寒し霜も置きぬがに】万葉集一五五六
万葉集にはいくつもの稲や田畑に関する歌が見られます。その万葉よりはるか昔、大陸から伝来した米は日本人の食の中心を成してきました。この米、品種改良や技術が進み味の進化はめざましく、また病虫にも強くなってきましたが、今のところ一粒の籾種から穫れる米粒は600ほど。これは大人でお茶碗一杯分。また籾種からごはんが食べられるまでに生育するのに必要な日数は約5か月。これは万葉の頃も、平成の今も全く変わりがありません。お米づくりの苦労は昔も今も同じですね。

ごはんを炊く水のはなし

おいしいごはんはお米が第一。今は各県がしのぎを削るように新しいブランド米を世に出しては品評会の格付けも年ごとに変動します。それだけ美味しいお米が食べられる良い時代になってきたということでしょう。ですが、いくら上等な米を使ったとしても炊く際の水や水加減、蒸らし具合が悪ければお米の本来の美味しさは引き出すことができません。先日もある料理家さんがお米を炊くのにフランス料理なのでとエビアンを使っていました。これは本末転倒。ミネラル分の多い硬水は米のタンパク質が固まり、でんぷん質が固くなり粘り気のないごはんになってしまいます。日本の多くの水は軟水。ごはんを炊くのにもってこいのお水です。もちろん、農地用水としても最適。作る場(川上)から食べる場(川下)まで適した水のおかげです。

にぎり飯をにぎろう

今世界中で日本料理が食べられています。その日本料理の中でもにぎり飯は格別。熱いごはんを両手でにぎっていく。これは世界中で日本だけの食文化です。万葉集はじめ古くから多くの歌や小説に見られるにぎり飯をにぎることは日本の食文化を古から今に繋ぎ、手のひらの中で結んでいくことに他なりません。にぎり飯はシンプル故に米が大事。ちなみに僕は新潟のコシヒカリか宮城のササニシキが好みです。年中美味しいのですが、やはり新米が最高。そして次に塩が大事。にがりのある天日干しした焼塩を選びます。僕は西の出身で気がつくとなじみ深い俵型になるのですが、東京は三角おむすび、九州はボウル型など地域性があるのも楽しいのがにぎり飯。ぜひ新米の季節に美味しいにぎり飯を楽しんでみてください。そして国内へ旅行の際にはご当地にぎり飯も一興ですよ。地域の古からの伝統、特に衣食住にまつわるものは、マーケティングを行っていく上でも大きな学びと気づきがあります。顧客志向は小さな個の生活すなわち衣食住と真正面から向き合うことでしか正しい情報や判断は得られません。日本の農村も、ロンドンのセンターも基本は同じです。にぎり飯ひとつへの地域との関係性など何故?という問いかけがマーケティング気質を養ってくれる小さくて大きな始まりになります。

グローバルな時代こそジャパン・アイデンティティを大切に

米と水から僕が大好きな酒ができます。さらに米と米麹からは、味噌や醤油ができます。後は、野菜と魚があれば食卓は整います。昨今は洋食の浸透とともに日本の食卓も変化してきましたが、基本は米から日本の食のカタチはできあがっています。先日も某有名なフランス人シェフが「米と旨み」の本質を身につけるために来日しました。フランス人にとって「パンとワイン」が神からの贈りものであり、神への捧げものであるのと同様に、「米と酒」は日本における「パンとワイン」だと感慨深げに述べていました。ネット社会とモビリティーの発達で地球は小さくなりました。青い目の隣人が普通になる世の中で、だからこそ大切なことはアイデンティティではないでしょうか。ヒトを形作るものは口から入るものと目や耳から入ることの二つです。そのうちの口から入るもの、すなわち食べ物は意識せずともヒトを作ります。
日本のヒト、すなわち日本人は口から入る食べ物について、グローバル化が加速する世の中だからこそ、ジャパン・アイデンティティを大切にすることを意識して日々食生活を営むべきなのではないでしょうか。グローバルに融和しグローバルで発揮する。そのために必要なことが食の面から考えると本質が見えてくるように思えます。 今年の実りに感謝して、炊きたてのごはんで今日も食卓を楽しむことといたしましょう。