【企業事例】 東⽇本旅客鉄道株式会社 地域と地域をつなぎ、多くの⼈が協⼒して初めて鉄道は⾛る。鉄道はダイバーシティそのものだ︕
スペシャルインタビュー 東⽇本旅客鉄道株式会社
ダイバーシティ経営でビジネスのポテンシャルを解き放つ
地域と地域をつなぎ、多くの人が協力して初めて鉄道は走る。
鉄道はダイバーシティそのものだ!
経済産業省主催「ダイバーシティ経営企業100選」に、平成26年度の受賞企業となった東⽇本旅客鉄道株式会社。同社のダイバーシティに対する考え⽅や具体的な取り組みについて、⼈事部ダイバーシティ推進グループ 課⻑の松澤⼀美⽒と同部 ⼈材育成⽀援グループの藤⽥雅⼦⽒にお話をうかがいました。

(左)⼈事部 ⼈材育成⽀援グループ 藤⽥雅⼦ ⽒

モノカルチャーから社員の多様性を目指して、⼥性活躍は職域拡⼤から
御社におけるダイバーシティへの取り組みの背景や契機についてお聞かせください。
私たちにとってのダイバーシティとは「痛みから学んだ教訓」なのかもしれません。
国鉄分割⺠営化に伴い、当社が発⾜した1987年、従業員数は82,500⼈でした。設⽴当時の⼥性社員は680⼈、全社員の0.8%。男性社員のみの価値観にとらわれていた会社であったといえます。
当時の経営陣は、⺠営化を成功させるべく「⾃主⾃律」とイノベーションを図るために「社員が多様であること」を目指しました。激変する社会環境に対応し、事業存続できる企業となるためです。
イノベーターとして、1988年から⼥性総合職の採⽤をスタート。その後1999年の労働基準法改正により⼥性の深夜勤務などの規制が撤廃されたのを機に、2000年からは乗務員への登⽤も始め、⼥性の採⽤を⼤幅に増やし、職域拡⼤に取り組みました。
⼥性社員を駅員や、乗務員として登⽤するということは、⼥性⽤トイレや浴室といった設備の整備に膨⼤な費⽤がかかりました。しかし、歴代の経営陣は、それらは”コストではなく投資である”と考え、経営の⽅針として⼥性が活躍する環境を急ピッチで整えていったのです。
今まで男性しかいなかった職場や職域に⼥性が配属されるようになったことは、非常に⼤きな変化でした。いわゆる⼥性の持つ柔らかさや感性が現場に加わることによって、良い意味での化学反応を起こし、お客さまへのサービス向上につながったのです。
駅のホームに⽴つ⼥性⾞掌の凛々しい⽴ち振る舞いを⾒ると、同じ⼥性として誇らしく思いますし、本当の意味で性別に関係なく活躍できる会社になったと実感します。2015年現在、⼭⼿線の全⾞掌のうち4割が⼥性です。
職域拡⼤と制度整備だけでは、本当の意味で⼥性活躍は進まなかった
⺠営化の後、⼥性活躍は順調に進んだということでしょうか。
松澤:
いえ、⼀概にそうとは⾔えません。⼥性社員は増えていきましたが、多くの男性は「⼥性のことは⼥性が解決する」「あくまで⼥性の問題」という間違った考え⽅が定着していった時期もありました。⼀⽅で、⼥性のワーク&ライフにおけるロールモデルは不⾜していましたから、⼿探り状態でもありました。仕事への情熱と家庭や⼦育ての両⽴について悩んでいる社員が多かったように思います。
そこで2009年から、「ワーク・ライフ・プログラム」を開始し、ワーク・ライフ・バランス分野の制度を整備するとともに、制度の周知と職場風⼟の醸成を目的として、制度説明会や、⼥性活躍に関する講演会、啓発活動、⼥性対象のセミナーなどを開催しました。
これらは⼀定の効果はありましたが、従業員の数からいえば、まだまだ限定的だったといえます。
ただ、少しずつではありましたが⼤きな象が動き出したような変化も感じ始めていました。
ちょうどその頃、私は⾸都圏を中⼼に当社の沿線に「駅型保育園」を整備する仕事をしていました。機能的な場所である駅前に在ることで、通勤に便利で、お⼦さまだけでなく働く親御さんにも優しい、交通と⽣活の「結節点」をつくることを目指していました。ご利⽤者から「この場所(駅前に保育園)があったから、仕事を続けられた」と感謝の⾔葉をいただいたとき、はっと気づかされました。私の仕事は沿線開発ではなく、沿線の仕事と家庭の両⽴⽀援だったのだと。
それがきっかけとなり、JR東⽇本として初めて事業所内保育所の設置プロジェクトに参加しました。開設前の説明会には130名もの社員が集まり、⼤きな反響にびっくりしたことを覚えています。しかし、蓋を開けてみると、最初の利⽤者はたった3名でした。制度はできても、利⽤してもらうことの難しさを実感しました。

「誰もに家族がある」東⽇本⼤震災から学んだ教訓
社員の価値観を変えるような出来事があったのでしょうか。
2011年に発⽣し甚⼤な被害をもたらした東⽇本⼤震災は、当社にも⼤きな被害があり、かつてない危機にさらされました。
駅や線路といった当社施設をはじめ、列⾞運⾏などの復旧を急がなければなりません。その⼀⽅で、社員それぞれに家族や⽣活があるわけです。家族の安否がなかなか判明しない社員もいました。実際に被災した社員もいました。しかし、このような状況でも職責を果たす社員の姿があったのです。
お客さまを安全な場所へ避難誘導した者、お客さまの安全確認のため、津波の⽔が引かない中、泳いで職場へ戻った者。早期の復旧のため、夜通し復旧作業にあたった者・・・。
その結果、同年4⽉29⽇に東北新幹線を復旧することができました。沿線からの声援に地域を⽀える役目、使命感を再認識したことが思い出されます。
震災後しばらくして、社⻑の冨⽥が、私に「鉄道はダイバーシティそのものだ」と話してくれたことがあります。鉄道はさまざまな部署や協⼒会社の社員が⼒を合わせなければ⾛らない。同質化することが目標ではなく、同じ⽅向を⾒て結束することが⼤事と解説してくれました。
「家庭も⼤事」と照れながらも⼝に出せるようになったことや、それを職場や上司、仲間も受け⼊れ、理解するようになったことは、「地域で活きる」という職責を果たす考え⽅の深化につながっていきました。東⽇本⼤震災では非常に⼤きな痛みを受けましたが、そこから学んだこともまた⼤きかったのです。

社員の働きがいを推進する 個⼈の発意から⽣まれる「My Project」
社員の働きがいに寄与した具体的な取り組みについてお聞かせください。
「My Project」は、⾃分の業務から⼀歩踏み込んだ取り組みに業務の⼀環として挑戦できる制度です。「⼀⼈ひとりの発意でスタート」「⼿法は⾃由、プロセス重視」「社員の成⻑が成果」という3つがポイントで、2011年にスタートしました。
たとえば、普段勤務している地域を盛り上げようと、乗務員たちがチームをつくってオリジナルの駅弁を開発する、といった取り組みがありました。
列⾞の運転に関わる業務ではありませんし、もしかしたら他の⼈の担当業務かもしれません。また、開発過程ではつまずいたこともあったと思います。
しかし、この取り組みは「My Project」の3つのポイントをしっかりおさえた代表的な好事例だといえます。

「My Project」で、「やりたいこと」に取り組むことで、ダイバーシティの推進にどのような影響があるのでしょうか。
「My Project」で⼤事にしていることは、⼤震災のときに学んだ社員同⼠による「共感」です。
「My Project」は、「新しいことへのチャレンジ」に加え、「もうちょっとこうなったらよいのに」「何だか気になる」といった想いを⾔葉にして、多くの⼈たちに共感してもらうことも目的としています。
藤⽥:
ある職場の事例ですが、経験豊かなベテラン社員が組んだチームで、⾃分たちの経験をナレッジとして伝えるという取り組みがありました。
ベテラン社員が列⾞を運⾏する中で考えていたこと、思っていたことを⾒える化したところ、若⼿から「あの先輩も同じことを思っていたんだ」とか「今まで気付かなかったことだ」などと新たな気づき、共感が得られました。
加えて、このチームは、普段業務では使わないPower Pointを使ってプレゼンしました。若い世代の社員たちに伝わりやすい⽅法を考え、⾃発的に勉強して、プレゼンに臨んだのです。
⽀社や職場という枠を超えて、「やりたいこと」にチャレンジできるのが「My Project」。社員⼀⼈ひとりの個性を活かした活躍の場であり、まさに、ダイバーシティに寄与しているというわけです。

非正規社員やシニア社員にも 発意で受講できる研修を⽤意
Off-JTや⾃⼰啓発については、どのようにお考えでしょうか。
この7、8年は「My Project」と同じように、社員⾃ら⼿を挙げてチャレンジするような研修や制度を充実させ、⼀⼈ひとりの持ち味や個性を伸ばしていくためのものと位置づけています。
内容によっては、⼊社年数や職制、年齢などの制限を設けていますが、海外への語学研修、次代の管理職層を担うためのマネジメント研修等も含めて、⼤きな縛りを設けている研修はほとんどありません。
また、グリーンスタッフ(契約社員)やエルダー社員(シニア社員)であっても同様です。職制による受講可能範囲の制限はありますが、さまざまな研修を選び、応募することができるようにしています。
グリーンスタッフは、⼀緒に列⾞を動かすための⼤切な仲間でありますし、エルダー社員からはまだまだ多くのことを教わらなければいけません。本⼈からの発意が前提ですが、学習し、成⻑できる環境を⽤意しています。
これからも列⾞を⾛らせ続けるために 世代をつなげる共感を⽣み出す
ダイバーシティに関する今後の取り組み課題をお聞かせください。
当社におけるダイバーシティの取り組みの第⼀歩は、⼥性採⽤であり、⼥性活躍だと思います。
今、取り組まなければいけない喫緊の課題は世代間の連携です。
当社の社員の年齢構成は、40代の社員が極端に少ない30代以下と50代のふたこぶラクダのような状態であって、今後10年の間に、4割弱を占めるベテラン社員の定年退職を控えています。

これからも列⾞を⾛らせ続けるために、ダイバーシティをさらに推進しなければいけないと考えています。
