企業のグローバル化:海外赴任に伴う子供の教育問題・異文化受容について(2)

前回は、筆者がパリの小学校に入学した日の父親の気持ちを紹介した。そして、この日のことを筆者は鮮明に覚えている。

不安と心細さにふるえているようだったのは私ではなく、母だったと思う。(父が執筆した本を読む限り、父もそうだったのだろう。)
私はとにかく、「なんでこんなところに無理やり連れて来られたのだろう?私は日本の小学校で楽しくやっていたのに…」という怒りの気持ちでいっぱいだったのだ。
初日の午前の授業が終わり、お昼休みにいったん家に戻った際、母に「学校は面白かったよ」と言ったのは、そう言わなければ父も母も困ってしまうことがわかっていたからだ。「行きたくない!」と駄々をこねることができたならどんなに楽だったかと思う。

このようにして、親子が考えていることは正反対のまま私のパリでの学校生活は始まった。父は仕事で忙しく、母はフランス語を覚えながら初の海外生活を送るのに精一杯のように見受けられた。
そのような両親の様子を見て、私は「学校に行きたくない」と言えないまま、黙々と通学していた。
私の折れそうな気持ちをかろうじて支えていたのは、1年前の私の我儘を聞いてくれた父との約束を破ってはならない、という1点だったと、今は思う。
その当時のフランスの小学校教育は徹底した管理教育で、楽しいと思えたことは少なかった。
自分でも学校に通うことが楽になったと感じられたのは、1年ほど経ち、やっとフランス語を理解し話せるようになってからのことだ。
しかし、全般的にフランスでの学校生活はしんどいことの方が多く、フランス嫌いになった時期がある程である。
帰国子女は、子供の頃から海外にいて当たり前のように外国語が出来るようになっていいね、と良く言われる。
子供は十人十色であるし、赴任する国の国民性やお国柄などもあり、色々なケースが考えられるが、海外の学校への転校は子供にとって心理的な負担となる場合も多々ある事を肝に銘じなくてはならない。
現在では、パリを例にとってみても、現地校、日本人学校、インターナショナルスクール、アメリカンスクール、お隣の国まで行けば「スイス公文学園高等部」や「立教英国学院」など、教育機関の選択肢も大幅に増えている。フランスにも、既に閉校してしまったが、一時は「アルザス成城学園」や「フランス甲南学園トゥレーヌ」があった時期もある。
選択肢が増えた分、親としては迷ってしまうこともあるだろうが、どのような教育機関を選ぶにせよ、「なぜこの学校に行かなくてはならないのか?」という、子供にとっては基本的命題を事前に説明し、コンセンサスを取ってから、通学させることが早い適応に繋がるのではないだろうか。

次回は、「日本人の顔をしている半分フランス人」となった私が帰国し、日本社会にどのように適応していったのか、また、適応できなかったのかを中心に、帰国子女が帰国した際に直面するre-identificationの難しさを述べていく予定である。

(学校法人産業能率大学 経営学部 准教授 武内 千草)