私が感じた「個人意思の尊重」の煩わしさ

私はこれまで海外に3度、計10年滞在した。
こう書くと如何にも海外通のように聞こえるかも知れないが、実は初めて海外に行ったのは28歳の時だった。しかも行先は台湾。初めてターンテーブルから スーツケースが出てきた時の感動は今でも忘れられない。因みに、その前の年に結婚したのだが、新婚旅行は北海道で、その時初めて飛行機に乗った。
初めて外国に住んだのは今から25年前、私が30歳の時に社命でアメリカのインディアナ大学経営大学院に留学した時のこと。以下はその時の体験談である。

アメリカは個人の意思を尊重するとはよく言われるが、その結果が、「定食文化」の日本人にとってはとても煩わしいものに感じられる。例を挙げると、サンド イッチを食べようと店に入り、カウンターでツナサンドを注文した。日本ならこれで終わり。しかし「オプション文化」のアメリカではここから戦いが始まる。
『AAAAA or BBBBB?』と訳の分からない事を聞かれ、2~3回『I beg your pardon?』を繰り返したが、今一つ分からず、『I don’t understand what you mean.』と言うと漸く表現方法を変えてくれ、結局彼が聞きたかったのはパンの長さであることが分かった。安易に大きい方を頼むととんでもない大きさのものが来るのは何度か経験したので、『small』と答える。そうすると、今度は『CCCC or DDDD?』と来た。又、2~3回『I beg your pardon?』を繰り返したが、今度はどうやらパンの種類を聞いている様だ。適当に答えると、飲み物は要らないかと聞かれたので、『Coke, please.』と答えると、『Is Pepsi OK?』と聞かれた。しまった。CokeではなくColaと言っておけば良かった、と思ったが後の祭りなので、『That’s fine.』と言うと、今度はサイズを聞かれた。日本の「Aセット」の何と合理的なことか。

学校の食堂はセルフサービス形式なのだが、ここでも戦いの場が用意されている。
メインディッシュを取る時には係の人に言って取って貰わないといけない。日常生活に密着した英語はTOEFLにも出て来ないので知る由もなく、咄嗟に料理を指さしながら、『This and that.』と言って、相手がこちらの知的レベルを疑っているのではないかという多少の屈辱感に苛まれながらも何とか食物を確保したのはいいのだが、時々その取り合わせが悪い事もあり、何とも奇妙なものを食べざるを得ないことも多々あった。
日本人なら係の人が気を効かせて「見繕って」くれるのだろうが、アメリカでは注文した通りにしかくれない。
一番簡単なのは、前のアメリカ人が注文したのを見ておいて、おいしそうであれば、『Same as his.』と言うことをいつしか学んでいた。個人の意思が尊重され過ぎるのも如何なものかと思った次第である。

プロフィール

広田 善典(ヒロタ ヨシノリ) 学校法人産業能率大学 総合研究所 兼任講師

【学歴/職務経歴】
1980年3月 上智大学 外国語学部 英語学科 卒業
1990年5月 インディアナ大学経営大学院 卒業
1980年4月 日産自動車株式会社入社
・輸出計画、海外提携会社マーティング支援、海外販売、海外子会社経営、商品戦略、グローバルマーケティング等の職種で活躍
・海外子会社、商品戦略、グローバルマーケティング部門において組織マネジメントを経験、ニュージーランド、ハワイ現地法人の経営を経験
2013年4月 経営コンサルタントとして独立 現在に至る

【研修活動領域】
・ビジネス英語研修(化粧品製造業・中堅社員対象)
・異文化コミュニケーション研修(自動車製造業・海外赴任予定者対象)

【資格】
・経営学修士(MBA)
・TOEICスコア990(満点)(2012年12月)
・英語科教職免許(中学・高校)