韓国企業と日本企業の差(2) 財閥系企業とのコンサルタント契約

財閥系企業とのコンサルタント契約

前回のコラムでお伝えしたように、私は韓国から日本に来る視察団のコーディネーターを務め、そのときに視察団の団長をされていたのが、私が韓国の父と敬愛する朴さんです。朴さんは名門ソウル大学を卒業後、官僚となり長く要職に就いていらっしゃり、引退後は社団法人韓国人間開発研究院でお仕事をされていました。視察団というのも、この韓国人間開発研究院が主催するものだったわけです。
朴さんは、私とは親子以上に歳も離れていたのですが、常に私に敬意を払って接してくださいました。また、私が韓国や韓国企業について理解が深められるようにと、さまざまな支援をしてくださった方でもあります。日本人と変わらず日本語を流暢に話す朴さんは当然のことながら日本占領時代に日本語教育を受けた世代です。しかし、その朴さんから日本に関して否定的な言葉を聞くことはありませんでした。不思議に思った私は、あるときに、歴史問題について朴さんはどのように考えているのか、ストレートに質問をぶつけたことがありました。朴さんは「過去に日本がしたことを快く思っている韓国人はいないし、自分もそうである。しかし怒っているわけではない。怒って過激に日本を非難する人もいるが、それは一部だと思う。占領時代の良い面も見てきている。だからただ怒って対立するのではなく、お互いに尊重し合える関係になれればいい。その一助となれればと考え、視察団の団長として韓国と日本をつなぐ仕事をしている。」という趣旨のことを話されていました。

この話しはもちろんのこと、朴さんの抑制の効いた紳士的な態度、そして当時まだ20代の駆け出しのコンサルタントである私に、少しでも韓国のことを理解させてあげようという温かい心遣いなど、朴さんの人柄に感銘を受け、私も朴さんのため、そして日韓友好のために少しでも役に立ちたいと考えるようになっていました。 それから少し経って、朴さんから韓国のある財閥系メーカーが日本のコンサルタント会社を探しているという連絡を受け、私は現地に飛ぶことになりました。
そこで目にしたのは、あまりにも旧態依然とした工場や物流センターなどの現場でした。調査を終え、帰国後、企画提案書を作成します。数社のコンペということも聞いていたので、正直あまり期待していなかったのですが、どうにか受注することができました。後から聞いた話ですが、受注できたのは、他社が戦略論など壮大な提案をしてきたのに対し、私の提案はその正反対で現場をベースにしたボトムアップ型。地味だけれど最も実現性が高そうだと判断されたとのことでした。

プロジェクトは月に1回2泊3日のペースで進行していきました。最初は現状分析ということで、先方の出荷実績のデータを要求したのですが、それはないという答えが返ってきました。詳細は省きますが、客先別の売上データは集計したものがあるが、商品別の出荷データなどは集計していないということでした。現場では返品もあるし倉庫間の横持ち(在庫の移動)などもあるので、実際倉庫にどれくらい在庫があるのかが全く分かりません。作った数と売れた数が分かっていれば、通過点としての倉庫の在庫など把握する意味はないという発想のようでした。しかし、その結果倉庫の片隅には返品されたまま何年も眠っている商品や作り過ぎたまま一度も出荷されることもなく放置された品物などが文字通り山のようにうず高く積み上げられていました。
どこから手をつければよいのか、頭が真っ白になるようなスタートでしたが、とりあえず出荷の状況をキチンとデータ化しようということになりました。そして過去1年分の出荷伝票を地下の倉庫から探し出してきて集計作業が始まりました。そのときは翌月また訪問するまでに集計が終わっていれば上出来くらいに考えていたのですが、半月も経たないうちに、「集計は終わった。次は何をすればよいのか?」という催促の問い合わせが来ました。慌てて次の作業の指示を出しつつ、スケジュールを調整して訪韓の予定を早めることにしました。その後も私の出す指示を的確に理解し、実行していく彼らのポテンシャルの高さに驚かされることが多々ありました。

当時の韓国企業の現場のオペレーション水準は決して高くはなく、日本と比べて20年から30年は遅れているとも言われていました。そして、日本が韓国に追いつかれることはまずないだろうとも考えられていた時代です。

しかし、私はこのときに、韓国企業のポテンシャルの高さに脅威を感じていました。目標に向かってガムシャラに突き進むバイタリティー、新たな技術や知識を何でも吸収しようという貪欲さなど、当時の日本では既に失われかけていたものが、韓国には噴火する前のマグマのようにフツフツと湧き上がっており、いつかそれが噴火したときに韓国企業は加速度的に急成長を果たすだろうと、漠然とした不安を覚えたものでした。

そしてあれから30年。そのときの不安が現実のものとなりました。
韓国企業と日本企業との差

公開日:2018年08月09日(木)