産業能率大学の海外研修プログラムとグローバル教育(3)~「異文化体験研修」~

本学の異文化体験研修@ホーチミン市には、大きく分けて4つのプログラムが用意されています。 1つ目が、提携先ベトナム国家大学ホーチミン市人文社会科大学(USSH)での学習。ベトナムの「歴史と文化」、「経済とビジネス」について日本語での講義を1コマずつ、「ベトナム語」について2コマの講義と演習を英語とベトナム語で受けます。担当するのはUSSHの教員です。2つ目は、日系企業訪問&インターンシップ。今回は、株式会社イオンと株式会社三谷産業に協力いただきました。ベトナムで新事業を始めるにあたってのご苦労話、ベトナム人スタッフとの仕事観の違い、ES向上とCS向上をどのようにリンクさせているかなど、成長著しいベトナム市場での体験談は非常に興味深く、この研修の目的である「異文化体験」をビジネス上でシミュレーションしたような企業訪問でした。3つ目が、「ホーチミンとメコンデルタ観光」です。この中でも、特に学生たちにとって貴重な体験となった「ピースビレッジ」訪問についての詳細をご報告します。
研修10日目、2月22日、大型バスにて「ピースビレッジ」に向かいました。ここは、ホーチミン市西部にあるトゥー・ドゥー病院内にある施設です。ベトナム戦争中にアメリカ軍によって大量に散布された枯葉剤の影響で、障害を持って生まれた子供たち約50名が暮らしています。学生たちはこの施設訪問に先立ち、5日目の市内観光の際、「ホーチミン戦争証跡博物館」で写真や解説を通してベトナム戦争について学んでいました。

解説によると、人体に有害な成分・ダイオキシンを多く含む枯葉剤が奇形や流産の原因となっており、今でもそのダメージを強く受けた2世代目、3世代目の子供たちが生まれているとのことでした。写真でさえ、重い障害を持つ子供たちの姿にショックを受け、椅子に倒れ込むようにしている学生がいたため、実際に子供たちを目にした時、学生たちがきちんと受け止められるのか心配でした。そこで、ピースビレッジ到着後、バスで待っていてもよいし、子供たちが過ごしている階に行く前に通される部屋で待っていてもよいことを伝え、本人たちに判断させることにしました。全員が施設内まで来て、看護師長によるピースビレッジの説明を受けました。子供たちに会うことを断念したのは4名の女子学生でした。
残りの学生たちを連れ、階を上がりました。教員である私も、緊張していました。学生たちをきちんとアテンドできるよう、前日の夜はこの施設の勉強に多くの時間を費やしていました。手足が曲がっており寝る体勢も取れない子、頭がい骨が異常に大きい子、眼球を持たずに生まれた子…。奇形の形はいろいろで、想像を越えていました。けれど、中には言葉を発せる子、笑顔を向けてくれる子、学生の手を取り病室にいざなってくれる子など、皆それぞれ個性を持った子供たちであることがすぐに分かりました。親が貧しく面倒を見切れず、捨てられるように施設に入れられた子もいると聞きましたが、どの看護師さんも親身に子供たちのケアをしている様子を鑑み、救われる思いがしました。学生たちは、しっかりと目の前の子供たちの状況を受け止め、各人がさまざまなことを感じているようでした。最後に、この施設で働いている「ドクちゃん」ことグエン・ドクゥ氏と記念撮影をしました。看護師長さんにも、ドクゥ氏にも、日本からの多くの支援に感謝するというお言葉をいただきました。ドクゥ氏は分離手術の後、2002年、義足製作の技術取得のために日本に留学もしており、結婚後に生まれた2人の子供の名前は、富士山と桜にちなんだ名前を付けたと伺い、皆感激しながら施設を後にしました。
施設を出ると、そこは普通の大学病院内で、太陽が燦々と降り注ぎ、妊婦さんが幸せそうに歩いているのを見ました。ベトナム戦争の負の遺産が残されたピースビレッジと、この平和なホーチミンの風景のギャップは、一生忘れられません。50歳を過ぎた私にとってでさえ強烈な体験となったこのピースビレッジ訪問ですから、感受性豊かな10代、20代の学生たちは何を受け取り、感じ、考えたことでしょう。
個人の観光旅行ではなかなか訪れることができないこの施設見学は、教員にとっても学生たちにとっても重い体験ではありますが、本学の異文化体験研修プログラムの中でも重要な学びの場となっていると考えています。
次回は、このコラムの最終回となります。この研修の基本プログラム、International Exchange Club(IEC)の学生たちとの異文化交流と最終プレゼンテーションについてご紹介します。