日本の知財立国とは~音楽で外貨を稼いでこられるか~(3)

日本の知財立国とは~音楽で外貨を稼いでこられるか~(3)

1986年に私が帰国し、ソニーミュージックグループで働きだした当時の音楽業界における『国際業務』は海外の音楽の輸入一辺倒でした。当時はいわゆる洋楽がよく売れており、レコード産業全体の25%ほどの売り上げを稼いでいました。まだまだインターネットなど影もなく、情報のスピードも日単位どころか下手をすると週単位で数えるような時代ですから、音楽産業の中でも洋楽を担当する部署は花形であり、世界のヒット潮流をいち早く知り、そしてその情報を国内に流通させるという選ばれた立場でもありました。

この輸入超過状態は、1994年にエイベックスに転職した当時もほぼ変わりありませんでした。それどころか、当時のエイベックスは自前の(つまり日本人の)アーティストはほぼ皆無という状態で、一番の売れ筋はヨーロッパで流行っているダンスミュージックを集めたコンピレーションシリーズのCDでした。ですので、私の最初の仕事もそれらヨーロッパの音楽の買い付けと交渉がメインで、日本の音楽を海外に展開するなどということに、全く可能性も魅力も感じていませんでした。

しかし、時代は変わります。徐々にですが日本の音楽産業も、せっかく制作した日本の音楽や、せっかく育てた日本の歌手を、少しでも可能性があるのなら世界市場でトライさせたいと思うようになってきました。
アーティストたち本人も、もし世界のどこかに少しでもファンがいるなら会いに行って自分のショウを見せたい、と自然に考えるようになってきました。エイベックスでも日本人アーティスト皆無の時代から、TRF、安室奈美恵、GLOBE、ELT、浜崎あゆみなど人気アーティストを多数抱える時代になり、 さらにそんな人気アーティストも次第に海外に視線が向くようになってきます。その頃、私が統括していた国際業務部門も、輸入から輸出を積極的に考えるよう になります。
折しも2001年に内閣総理大臣に就任した小泉純一郎氏は、これからの日本は知的財産で立国するとの意思を明示し、知的財産戦略本部という新組織を閣内に設置しました。そして知的財産戦略本部ではエンターテインメント産業やメディア産業で活躍している現場の責任者をさまざまなレイヤーの会議に招集し、毎年の知的財産戦略をまとめるようになりました。

この、日本の知的財産立国を目指す方針には、その下敷きとなる成功例がありました。次回はそのあたりを紹介します。