駐在生活を楽しむ秘訣!~渡米4年間を振り返って~(1)

日本とのしばしの別れ

4年前の春、主人がアメリカ・ミシガン州へ赴任という内示を受けました。
3回目の産休中で育児に奮闘中の私はもちろん驚きましたが、主人の所属している部署の社員は続々と海外に赴任しているため、正直「来たか・・・」という感想でした。結婚前、遠距離恋愛が長かった私たちに、結婚してから家族が離れて生活をするという選択肢はなかったため、すぐさま、いつ渡米するか、どのような準備をすべきかなどの手続きに入りました。

子供たちが8、2、0歳の時です。
会社側がマニュアルにそってかなり細かい資料を迅速に用意してくれたため、困ることも少なくなかったです。何年後には戻ってくるということが想定されているので、私自身には日本を離れるということに不安はなく、むしろアメリカで子供たちをきちんと育てていけるかどうかが心配でした。
主人は8月に一足先に渡米。住居を探したり、車を購入したり、家族が来る前にある程度の生活の基盤を整えておいてくれました。
その間、日本に残された私は、子供たち3人(+猫1匹)と日常生活を継続しつつ、住宅を売却し、仕事を辞め、周囲の方々にお別れをし、11月中旬に渡米しました。
普段遠くにいて、めったに会うことのない母親と別れるのだけは、特にさみしかったのを覚えています。
子育ての相談をする相手がいなくなるという思いが強かったからかもしれません。

日常の小さな驚

家を出て15時間後にはミシガン州デトロイト近郊ノバイ市、アメリカで住むことになる家に到着、長男と長女はその家の広さに大興奮していました。
私も道中たくさん見かけた大きなアメリカ国旗、広い空、右車線を走っていることなどにかなり興奮気味だったのを覚えています。

子供たちは時差ボケもあり、昼に寝て、夜は眠れない日が何日か続いたころ、主人が帰宅後に私たちを初めての外に連れ出してくれました。
ダウンタウンにある大きなショッピングモール。当たり前ですが日本人(らしき人たち)は少数。ただただ周りの人たちを見てしまいます。特にアメリカ人は体格も大きく、私たち夫婦は口を開けば「大きいねー、私たちが小さく見えるねー。」などの会話を繰り返していました。

そして、何かを買う時には毎回食品のカラフルさに驚いていました。日本では見ない色のケーキ、飲み物。食べて大丈夫なのか?と思いつつ、ついつい物珍しさに手が出てしまうのです。
そして、甘い!甘すぎる!こんなものを食べ続けていたら病気になる!しかし、大人の感想とは反対に子供はおいしい!と食べる、飲む。そして口の中がすごい色に・・・よく見るとそんな子供たちが結構いるもので、これには1か月も経たないうちに、なんとも思わなくなってしまいました。そして、今では甘いものも「ありだな」と思っている自分が怖いです。
そして、主婦の代表的な仕事のひとつである洗濯。ご存知の方も多いと思いますが、こちらでは洗濯物を一切外には干しません。大概の家には洗濯機と乾燥機が備え付けれられているので、子育て世代にはなんともありがたいものです。その日の汚れ物がすべて寝る前に乾燥まで終わってしまうわけですから、わが子たちはきっと「洗濯物を干す」という言葉を知らないで育つことになるでしょう。

買い物についても、歩いていけるところにお店はなく、買い物も大きくて重いのでとても歩いて持ち帰ることができません。必要に迫られて自分で運転するようになったとき、ふと気が付いたことがあります。車社会のためか、歩行者がほとんどいないのです。自分たちも、歩いて出かけることはほとんどなくなりました。
こうして日々の生活の違いに驚きつつも、少しづつ順応しながら私たち家族のアメリカ生活がスタートしました。

次回は英語にまつわる珍談をお伝えする予定です。