北京を散策して感じた中国市場の変化【第2回】

第2回 不思議な「秀水街」

「秀水街」は、北京朝陽区(北京の東)のビジネス街および大使館エリアに位置しています。改革開放とともに誕生した個人商店の集積地で、30年以上の歴史があります。昔は、2~4畳前後の小さなテントの中で、洋服、カバン、財布、靴などを売っているような感じでした。初代の店主の多くは、流行に敏感な北京の若者でしたが、いまはさまざまな方言を話す店主がいます。初代の店主たちのうち、お金持ちになって別のビジネスで成功している人も少なくありません。そういう意味で、秀水は資本蓄積の聖地でした。
秀水街の歴史を辿ると、中国改革開放の歴史が見られます。彼らは当初、シルクの衣料品を中心に売っていました。「中国のシルク街」と称され、大使館に駐在している外国人を中心に人気を博していました。しかし当時、社会主義の目から見ると個人の商売は闇市場ですので、取り締まりの対象となっていました。警察や市場管理部門の人が来ると、店主たちは手早く片付け、まるで何もなかったかのように逃げ出し、そして彼らが帰ると、あっという間ににぎやかなマーケットを復元させてしまいます。
鄧小平の南巡講話によって、92年以降に私営経済や個人の商売がようやく合法的になったものの、秀水は偽物ブランド品の街に化けていきます。そして、再び監視と取り締まりの対象になりました。おそらく外国人の常連客なのでしょう、取り締まり関係者が来ると、店主だけではなく買い物客までも一緒に商品隠しを手伝ったりします。とにかく、秀水の集客力と生命力の強さは、想像を超えるものでした。
結果として、万里の長城、故宮博物館、北京ダックと並び、北京観光の4大スポットの1つとして数えられることになりました。

秀水街が人気になったのには、2つの理由があると考えられます。1つ目は、取り締まっても出てくる偽物の天国ということです。2つ目は、売り手と買い手の距離が近いということです。ここで買い物をすると、「坎価」(kan jia)または「討価還価」(いずれも値引き交渉の意味)の楽しさと、買い物を終えたときの達成感を味わえるのです。
秀水街を歩くと、「坎価」用の中国語をきちんと覚えて、交渉のプロセスを楽しんでいる外国人の姿が多く見られます。逆に私のような中国人であっても、交渉が得意でなければやられます。店主たちもいろんな国の言葉で顧客とやり取りし、あっという間に「老朋友」(古い友達)のようになっていきます。こうした関係になった時に、「坎価成功」の場合が多いようです。大使館の常連客だけではなく、観光客や海外の有名人も訪れるそうです。
店内の様子 現地ブランド
秀水街は、いわば異常な偽物の規模と、とんでもない吊上げ価格の商法で「ブランド化」「風物誌化」した不思議な存在でもあります。今回もタクシーの運転手からこんな話を聞きました。― 乗客の1人に、先月1本800元(約16,000円)といわれたベルトを、「坎価」の末150元で2本を買ったそうです……。
ほんの10年前までは青空市場のようだった秀水が、現在では駐車場も完備の建物となり、1,000以上の小さい店舗が所狭しと集積しています。
この20年の間に、世界の有名ブランド店が続々と中国へ進出してきましたが、それに負けないくらいのスピードで、秀水のようなローカル・マーケットが全国各地で展開されてきました。これらのマーケットの中には、秀水よりも人気が高くなっているものも多くありますが、「偽物」の代名詞という意味では、秀水はいまだに「不倒」です。
今の秀水街の外観
一方で、中国政府は知的所有権を守ることにさらに力を入れています。こうした背景から、秀水街は再び転換期を迎えようとしています。秀水街を運営している北京市秀水豪森服装市場有限公司は、近年、偽物ゼロを訴えて「偽物天国」のイメージを一掃しようと戦略転換を進めています。確かに、「戦略転換中のハイエンド市場 店主を全面的に刷新中」の標識が随所に見られます。
「戦略転換中のハイエンド市場 店主を全面的に刷新中」
中には、今までと違って外国のブランド品のみならず、中国国内の地元ブランド、伝統刺繍、服のオーダーメイド店なども見られました。しかし、偽物らしい店もまだまだ見られます。散策中にカバン店に入って、あるカバンに偶然に目が止まった瞬間、店員に「1,000元」と言われました。無視して店を出ようとしたら後をついてきて、小さな声で「数百元のものもありますよ」と客の足を止めようとします。昔と変わらない商法だなと一瞬思いました。
シルクとオーダーメイド店のエリア
中国経済の転換期を見る縮図としての秀水街は、偽物の汚名払拭と、需要喚起、新たな顧客囲い込みといった戦略転換の行方を占うモデル的な存在だと思います。今回発見できたことは、秀水街が今後もかつてのような活力あふれるファッションの発信地であるとともに、国内ブランドの誕生と継承の地に生まれ変わる兆しなのかもしれないということです。あくまでも戦略転換がうまくいった場合の話ですが……。

(産業能率大学 経営学部 教授 グローバルマネジメント研究所 所員 欧陽 菲)