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~part1その2:辿りついた時代の風景<後編>【ビジネス思索塾】

企業での話には、どこか妙だなぁと感じることが少なくない。
たとえば中期経営計画。多くの企業では策定にあたって今後の事業環境を分析し、ある程度のデフレ進行と低成長経済を予測するのに、自社の売上げや利益は現在よりも増加することを想定する。市場はそれほど伸びない。消費はそれほど拡大しない。でも、自社の製品や商品やサービスの売上げは伸びる。その根拠はどこにあるのか。市場での他社シェアを分捕れるだけの明確な差異化ができるのか(海外での新規開拓や市場拡大が大きく寄与するという目論見はその通りだが)。もし、それぞれの企業が自社の中期計画を本当に達成できれば、日本経済全体の成長率はそれなりの高さになるはずだ。

    曾小川久英教授

    曾小川 久英    学校法人産業能率大学総合研究所 客員研究員

    たとえば、流行りのスローガン「選択と集中」。企業経営の要諦は資源配分にあり、有限の経営資源を配分するには、ある事業領域を選択し、選択した領域への集中が肝心なのは確かだろう。ただ、ある業界のそれぞれの企業が同じ領域を選択して同じように集中したら、当然の結果として、その領域では過当な競争が生じる。過当競争になれば、最後は体力勝負になり、規模の大きな会社が勝ち残る可能性が高い。ある会社だけが「選択と集中」をすれば効果的だが、どこもみな同じことをすれば、その戦略はあまり意味をなさない。

    横並び的な追随志向

    ビジネス界に蔓延する欧米発の新しさと洗練さを売り物にした手法やツールにすぐに飛びつく傾向は、空洞化した精神の延長上にあるのではないだろうか。まるで「ハーメルンの笛吹き男」が奏でるメロディに踊らされるがごとく、新しい経営手法などの導入に躍起になる。

    奏でられるメロディからは、成就する可能性に乏しい幻想がふり撒かれ、簡単にはできそうもない方法論が魔法の杖のごとく推奨される。欧米と日本では経営の主眼や組織の風土や社員の意識が違うはずだ。自社を取り巻く事業環境や業務形態を十分に踏まえないまま、欧米で成功した手法やツールを導入しても、うまく成果につながる保証はどこにもない。組織を疲弊させ、徒労感ばかりを残す可能性すらも否めない。

    通底する傾向だが、多くの企業は他社事例を知りたがる。自社と他社を較べたがる。でも、知ってどうするのか。較べてどうするのか(ベンチマーク的な動きを否定するつもりはないが、ベンチマークから新たなものが創出されるとはかぎらない)。どこかの会社でうまくいったやり方を自社で真似てみても、効果的かどうかはわからない。もし万能なやり方なら、どの会社もそれを採用すればみんなうまくいってしまうはずだ。横並び的な流行への追随から抜けだそうとする精神の鍛錬が要るのではないだろうか。

    グローバルとナショナル

    企業活動はたやすく国境を越える。経済的効率性の観点から、安価な労働力を調達できる国で生産し、需要が見込まれれば、どこの国にでも販売する。ただ、世界は経済論理だけで動いているわけではない。政治の論理、宗教の論理、文化の論理など、国家や民族というナショナルな論理が経済活動の底流をなしている。ナショナルな側面への視線を欠いた経済論理至上主義的な企業活動は、早晩手痛いしっぺ返しに遭うかもしれない。

    そもそも企業にとって国家とはどのような存在なのだろう。国家や国益に対して企業はどのような貢献を果たすべきなのか。国家による生命と財産の庇護が安定的な企業活動を可能にしているはずだが、日常的には自社の利潤追求に余念がなく(「社会貢献」というスローガンは掲げているが)、国家運営や国内経済(ナショナルエコノミー)への配慮や気配りはあまり見受けられない(ように感じる)。目指すべき将来的な国家像の打ちだしは企業からはほとんどきこえてこない。ただ、経済状況が悪化したり株価が低迷したりすると、すぐ政府に景気対策を要望するのは、日頃の企業姿勢を棚上げしたいささかあつかましい態度なのではないだろうか。

    (3)大人たちの振る舞い

    国民の成熟度が政治のあり方に反映されるように、大人たちの言動や規範が子供や若者たちに大きな影響を与えているはずだ。学校崩壊や目に余る若者たちの傍若無人な振る舞いも、たぶん大人たちの振る舞いを投影しているのだろう。近ごろの大人たちはどんな振る舞いをしているのだろうか。

    日本人は日本人論を好み、他国や他人から自分たちがどのように見られているかをいつも気にしているはずの国民なのに、公共の場所(街中、駅、機内、車内、レストラン、ホテルロビー、集会場、など)での大人たち(主にビジネスマン、男性とかぎるわけではないが)の振る舞いは緊張感を欠き、周囲の他者を気にかけない唯我独尊的な態度が目につく(とは思わないか)。

    しばらく前に新幹線車内で化粧する女性が話題になったが、出張帰りのビジネスマンも、新幹線に乗りこむやいなや座席を廻し、すぐに酒盛りをはじめ、「あ~だ、こ~だ」と仕事の愚痴と社内の噂話を大声でする(車内は会社じゃないんだぞ。じっと聞いていると、およその業界や会社を特定できる。そんな話に耳を澄ませている人間も気持ち悪いが)。

    航空機を利用して移動する大人たちの振る舞いには横柄で尊大な様子が如実に窺える(国内線での出来事。もちろん、すべての大人たちというわけではない)。空港では、周囲の歩行者を気にかける素振りもなく、手をうしろに大きく伸ばしてカート付きの荷物をズルズルと引きずる(荷物はできるだけ身体の横にくっつけて、周囲に迷惑がかからないようにせよ)。搭乗口では、乗る前に携帯で「これから飛行機に乗ります。何かありますか」。乗りこんで席に着くや、ほかの乗客がまだ搭乗中なのに、客室乗務員を呼んでスポーツ新聞を依頼。時には、「コーヒーをくれ」などと言う人もいる(新聞ぐらい、搭乗時に自分で取れ。コーヒーなど、水平飛行になってサービスがはじまるまで我慢しろ)。仕事のなかで顧客満足を刷りこまれているせいか、自分が顧客になると、自分のわがままを満足させるサービスが当然だといわんばかり(航空機の客室乗務員は、新幹線で弁当や飲み物を売るサービス要員とは違って、第一義的には安全要員)。

    離陸すれば、うしろの乗客の迷惑をかえりみず、すぐに座席を倒し(もともと国内線の座席間隔は狭いのだ。新幹線と違って座席が廻らないのは幸い)、隣席を気にすることもなく、新聞を広げたり、パソコンをガチャガチャいじったり。着陸してスポットに着くか着かないうちに立ちあがり、狭い機内通路をほかの乗客をかきわけて出口に向かって走りだす。到着ロビーに出れば携帯で、「いま着きました。何かありますか」(あ~、お忙しいんですね)。

    保守派で名コラムニストの井尻千男(1938年生まれ。拓殖大学教授、元日本経済新聞編集委員)は「非読の光景」という評論で、若者が本を読まなくなったというが、それは若者だけのことではなく、日本全体が考えることを忘れ、悩み方を忘れてしまった結果ではないかと指摘して、「グリーン車両がマンガで埋まる日」というコラムを書こうと思ったと自身の体験を紹介している。「過日、新幹線のグリーン車に乗ったとき、隣の席にすわった四十代前半とおぼしきビジネスマンが、立派なアタッシュケースをパチッと音をたててあけ、部厚いマンガ本を読みだした。グリーン車で出張するのだから、そこそこの会社の中堅社員にちがいない。大阪につくまでにたぶん四冊ほどを読んだであろう。そう、それに朝刊のスポーツ紙も加えなければならない」。

    つづけて、経営評論家の「日本の会社では、価値観や正義感や倫理を話題にすることはタブーなんですよ。あれをやりだしたら協調性、チームワークが崩れますからね」という発言に触れ、「中堅までは無教養で明るい男が使いよく、トップになったら賢い教養人になってほしいなどという期待は、ご都合主義もいいところである」「ビジネス社会にただよう反知性主義、反教養主義とでもいうものは否定しがたい。そもそも価値観にかかわるようないっさいの議論を避けましょうという黙約が成立しているところに、教養人の育つはずはないのである」(『言葉を玩んで国を喪う』)と言い放っている。

    公共空間での振る舞いは大人たちの精神の在り処を端的に物語っているのかもしれない。政治的な集会で気合いを入れるときには、いつも拳を振りあげ「ガンバロー」。会社の宴会では、なぜかやたらと手をたたきたがり、終わりはいつも一本締めか三本締め。写真を撮ればニタッと笑ってVサイン。スポーツ選手の派手なガッツポーズが称賛され、明るく元気にがんばることばかりが称揚される。べつにそれを悪いとはいわない。やめろと言うつもりもない。仕方なしに合わせている人も多いのだろう。でも、何とも寒々しい奇妙な光景ではないか。品性と緊張感を欠き、ときには傲慢と映る振る舞いではないのか。

    辿りついた時代の風景をいくつか点描してみた。もちろん、時代を彩る兆候はまだいくつもある。高度に専門化しブラックボックス化して暴走しつつある科学技術(情報技術は私たちの生活スタイルをどこまで変えるのだろう。生命科学は人間の尊厳や倫理との調和をいかにはかるのだろう。科学技術はかぎられた専門家だけにしか理解できない領域に踏みこんでしまった)、持てる者と持たざる者の乖離(中流意識の喪失、ホームレスの増大)や世代間の不平等(高齢者医療や年金の財源をだれが負担するのか)、曖昧になってきた企業とNPOの境界(政府とNGOの役割分担も見えにくい)など、考えねばならないことは山積している。でも、だからどうするの(経営コンサルタントなどがよく問いかけるso what?)といわれても、何とも簡単には答えようがない。

    自分が生きている時代の総体を鮮明に丸ごとつかむのは困難だ。私たちは過去の歴史を鎌倉時代、戦国時代、明治維新などと位置づけられる。後世の歴史家なら、21世紀初頭の歴史的な位置づけを明確にできるだろう。しかし、いまを生きている人間が同時代を的確に把握するのはむずかしい。それでも、何かが変わってきたとか、違った動きが起こったとか、新たな技術が開発されたとか、何らかのさまざまな兆候なら、感知することはできる。

    世間に流布する時代や社会を彩るいくつものキーワード(グローバリゼーション、構造改革、規制緩和、地球環境、ネットワーク化、少子高齢化、デフレ、成果主義・・・)はそうした兆候を示すものなのだろう。ただ、そうしたスローガン的なキーワードだけで時代や社会がわかった気分になるのではなく、そのキーワードに潜む背景や悩ましさを探り、それらのキーワードの行く末を見つめることが必要なのではないだろうか。

    【お断り】文中でのトピックスについては、読者の皆様方に「こうあるべき」「こう考えて欲しい」と主張するものではありません。本コラムの主旨はあくまでも、ご自身が深く考えていただくためのきっかけをご提供するものです。そのために本連載の内容に触れて、ご自身の意見(異論含む)を振り返ったり、確立いただく中で、ご自身の思考の座標軸をつくるヒントとしていただければ幸いです。

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    ※著者の所属・肩書きは掲載当時のものです。

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